亡霊が消えた日

2019/11/04

日記

 


おしゃれ人間になりたいきもちが強すぎる節があり、常々写真を撮る側の人間になりかった。けれどこのおしゃれ人間になりたいというきもちを先人のおしゃれ人間さんたちに見透かされるのがこわい、恥ずかしい、知られたくない、バレたくない。ずっと怯えていた。傷つきたくない自分が作り出した亡霊に傷つき続けるみっともないわたし。自家中毒が上手すぎて哀れ。おいおい!こんなの自意識過剰すぎる!みやぞんだって自分の機嫌は自分で取るって言ってたよ!


そういうわけでわたしはiPhone 8 Plusを買った。ポートレートモードで写真を撮るために買った。背景がぼけたかっこいい写真を撮ろう。そう思って買った。


しかし、いざ街中でiPhoneのカメラアプリを開くと「#ファインダー越しのわたしの世界 に命をかけているひとだ!」「インスタ映えごくろうさまです!」などと思われているのではないかという恐怖にかられた。だれもわたしのことなんか気にしていないのに。iPhoneだから気恥ずかしいきもちになるのか、シャッターのカシャッというばかでかい音が羞恥心を煽るのか、これが一眼レフとかのカメラで道端のお花にレンズを向ければ写真好きなひとに思っていただけて平常心で撮れるのか。


肥大した自意識に囚われたわたしはAmazonでミラーレス一眼を買った。初心者向けの入門機と言われている5万円くらいのやつ。わたしにとっては割と大きい買いものだった。カメラが届いたときはわくわくして、「これでやっとおしゃれ人間になれる!」「正々堂々と写真を撮れる!」と思った。


けれどだめだった。


カメラを首から下げるとわたしの被害妄想は頂点に達し、通り過ぎる街の人々から「感性豊か(笑)」という冷ややかな視線を注がれている気がした。亡霊に取り憑かれた弱いわたしに写真のハードルはめちゃくちゃに高かった。カメラは免罪符でも無敵キャンディでもなかった。そもそも、おしゃれ人間になりたいという浅はかな目的で写真を撮ろうとするからうまくいかなかったのだ。わたしは写真を撮りたいと思ったことなんて1回もなかった。


そんな中、先日東京へ遊びに行って、朝までたのしく飲んで、帰り道が同じ方向のやまちゃん(わたしの話をウンウンきいてくれるやさしいお友だち)と一緒に明け方の早稲田通りを歩いていて、やまちゃんは「札幌の写真撮って送ってよ」と言った。


「景色とかさ、撮って送ってよ」

「えっいいんですかそんなことして」

「いいよいいよ見たいもん」

「わたしの部屋の写真とかでもいい?」

「それでもいいよ」

「送る送る!絶対に送る!」


そのとき、はじめて「写真を撮ろう」と思った。やまちゃんに見せたい景色がたくさんある。


しこたまジャスミンハイを飲み、テキーラもキメてそこそこ酔っていたこともあり、気が大きくなっているからこんな写真を撮りたいきもちになれたのかな、でもこれで帰って、すぐ寝なきゃだけど、目が覚めたときにこのきもちが消えていたら嫌だな、そう思いながら寝た。


そして目が覚めても写真を撮りたいきもちは消えていなかった。うれしかった。


札幌に帰ろう。そして写真を撮ろう。iPhoneやカメラで写真を撮るわたしやわたしの感性を嘲笑したり疑ったりする亡霊はもうどこにもいない。

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