涙はさらさら流れて

2020/01/02

日記

 わたしはすぐに調子を崩す。主に心の調子を崩す。たのしいことがあったあとはたいていおかしくなる。昔セカチューで、目が覚めるといつも泣いているのは、夢から現実に戻るときその間には大きな溝?川?があって、そこを渡るときに涙せずには渡ることができないのだ、みたいなセリフがあった確か、それがすごくわたしの中でしっくりきていて、しっくりきているわりにちゃんと覚えていないのかって思うけども、それで、たのしいことがあったあとにまたたのしくない抑圧された日々に戻るときにわたしはどうしても調子を崩してしまう。かなしくなってしまうしさみしくなってしまう。


だから人に会うのは苦手だったのだけど、昨年の夏にひとりで札幌に拠点を移して、友だちがひとりもいなくて、なんにもたのしいことがなくて、あんなに帰ってきたかったはずの場所なのに、なにもかもくすんでいて、澱んでいて、東京のひとに言われた「これはだれに迫られるでもなくあなたが自らした選択だから後悔してはいけない」という言葉に呪われて、それがすごくすごくくるしくて、ああ、こんなにくるしいのに後悔したらいけないんだ、って思って、それからはとにかく死ぬときに後悔することを減らしたいと思って、いまは札幌にいて、すごいくるしい、くるしいけど、わたし生きてるし、地球にいるすきなひとたちにはちゃんとこの足で会いに行って、目を見て顔を合わせてすきだと言わせていただくことにした。
なので、今回は東京に遊びに来て東京にいるすきなひとにどんどん会いに行った。たのしかった。


そして、わたしはあした、明後日、もうあしたか、あした札幌にまたひとりで帰るのだが、案の定、心がもうめちゃくちゃ。たのしいことは始まる前がいちばんたのしいし、始まっちゃったら終わるだけだし、終わったらかなしくなるだけだし、どうしてこんな繰り返しで、みんな平気でいられるんだろう。でも、これを書いていて、みんなも平気じゃないのかもしれないって思った。


早くひとりになりたいし、早くすきなひとたちに会いたいし、もう会いたくないし、でも会いたいし、みんなそれぞれしあわせになってほしいし、2020年、あけましておめでとう、今年もちゃんとかなしいわたしでいられるね




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