かなしみは何かの伏線になんてならないんだな

2023/06/20

日記

 ・某日

父母に「7月の初めに1泊2日で福岡にサッカー観に行ってくるから、ねこをお願い」と頼まれた。すぐに「いいよ」と返事をした。7月の初めかあ。働いているかなあ、働いているといいなあ、と思った。もちろんわたしは福岡には誘われなかった。さみしいと言えばさみしい。かなしいと言えばかなしい。でも、わたしはサッカーには全然興味がないし、人混みにも行けないし、それに、飛行機も電車も乗れないし、家族であっても1日も2日も朝から晩までいっしょに行動するのはかなりつかれる。ねことお留守番しているほうがずっといい。でも、サッカーに興味があったら、人混みに行けたら、飛行機にも電車にも乗れたら、集団行動ができたら。きょうも別の世界線で生きている別のわたしのことを考える。さみしいと言えばさみしい。かなしいと言えばかなしい。幼いころ、叔母と母に連れられて、確か兄と妹とディズニーランドに行く日に、外出したくなくて「お留守番してる」と言ったら、母に大きい声で「行かないと後悔するよ!」と言われ、しぶしぶ行ったことを思い出した。ディズニーランドはたのしかった。でも、おうちでお留守番をしていたかった。


・某日

怪物を観に行った。感想をネットで検索したら、「マイノリティのためには作られていない」「クィアの関係を名前のないうつくしい関係としてネタにするな」というような感想を目にして、わからなくなった。わかりたい。でも、わかりたいと思うことも傲慢なんだろうか。わからない。この雑多な文章も、だれかを深く傷つけてしまうかもしれない


・某日

5年日記をつけている5年目、1年前の今ごろは毎日酒を飲み、酔い、あらゆるひとに絡み、迷惑をかけ、嫌な思いをさせていた。申し訳ない。つらいというきもちを今年は日ごとひとりでやり直し、繰り返している。こんなことをしても失敗はなかったことにはならないし、わたしの傍若無人なふるまいは許されない。5年日記をつけてわかったことは(まだ半年くらい残ってるけど)、①働いていなくても働いていてもわたしはずっとつらそう②どんな状況であってもおおむね居心地が悪そう③5年日記をつづける才能はある、の3つだった。わたしはかなしかったことやくるしかったことばかり書き留めてしまう。「そんな日記つけて意味あるの?」と聞かれたことがあって、「たのしいことを書くようにはしているけど、結局こうなる」と答えた。意味、あるのか。ないだろう。過去に傷つけてしまったひとや、嫌な思いをさせてしまったひとへの失言や失態は取り返しがつかない。わたしという人間は最低な人間だ。せめて、この先、もうだれも傷つけたくないし、もうだれも嫌な思いをさせたくない。だれかを貶めるかもしれない、損なうかもしれない、できるだけひとを遠ざけて過ごすべきなのだ、できるかどうかは別として


・某日

お友だちと川で夕陽がキラキラ沈んでゆくのをみていたら「そういえば結婚したんだよね」と言われた。「そうなんだ」とわたしは言った。言いたいことはたくさんあったけれどひとつも言葉にできず、言葉にならず、「結婚式とかやるなら余興をやらせろ、歌を歌わせろ、あと写真も撮らせろ」と言おうとしたら、目が覚めた。川面に反射する夕陽の光がきれいだった。わたしはこんなにきれいな夕陽を知っているのか。泣いた。遠くに行かないでほしいと思ったけれど、このひとの人生、わたしは責任を取れない、たとえ責任を取れたとしても、このひとはわたしなんかに責任を取ってほしくないかもしれない。おいおい泣いた。かつて職場で連絡先を交換せざるをえなかった同世代、もしくは年下の女たちのラインのアイコンはほとんどがデートで行ったであろう場所の景色の写真や、結婚式で着られたであろうウェディングドレス姿の写真を経て、あるいは経ずに、判で揃えたようにかわいい子どもの写真になっている。ひとことコメントみたいな欄には子どもの名前か旧姓が書かれている。ああ、きっと圧倒的に正しい人生。こちら、圧倒的に正しくない人生。抗不安剤を飲んで、お水を飲みながらたばこをゆっくり吸うと落ち着く率が高い。Tシャツの袖でゴシゴシ涙を拭って、Tシャツをびしょびしょにしてしまう。もう明け方だった。たばこを吸い切って、火を消して、泣き止んだところで再び横になって寝た。Tシャツを替えるのはめんどうだった。


・某日

使っていないクレジットカードを解約しようとして、勇気を出してカスタマーセンターへ電話をかけたけれど、自動音声のアナウンスに心臓がちぎれそうになって、途中で切った。


・某日

西から東に引っ越してきた兄と会う約束を取り付けられたけれど、兄が忙しいのもあって、わたしは何時に起きて何時にどこへ行って何時になれば会えるのかがギリギリまでわからなくて、結局、約束をした日の朝、ぜんぜん起き上がれなくて、せっかくのチャンスを不意にした。ごめんなさいとラインをした。情けなくてタオルケットにくるまって泣いた。会いたかった。


・某日

不安になるから、不安になるとパニックになるから、という理由で、じぶんで決めたマイナールールがどんどん増えてゆく。電車にはできるだけ乗らない。乗る場合は乗り換えせずに10分くらいで到着できるルートで行く。行けないところには行かない。エレベーターにも乗らない。ATMにも行かない。どうせおろすお金もない。レジが混んでいたらアイスクリームコーナーをふらふらして空くのを待つ。たばこはいつものファミマで買う。44番ひとつorふたつください。ローソンは最近配置が変わって番号がわからなくなった。セブンはたばこの棚が遠すぎて番号が識別できない。人間とやりとりしなければいけない電話はしない。自動音声もだめだったので電話はしない。幸い電話がかかってくることはない。インターホンの音が嫌で、音量をゼロにした。ゼロにしてもインターホンを押されるとスピーカーの音がコーッと鳴る。このコーッを止める方法はないんだろうか。わたしなりの「こうすれば消耗する度合いを抑えて比較的安全に生きていける」が蓄積されていて、ネットでよく見る「社会生活に著しい支障を来している状態」って、これのことなのか?と思った。確かに、どこか遠くに行きたいのに、行ける未来はぜんぜん見えないよね


・某日

精神科医から、発達障害の傾向あり、と言われて、そうかあ、と落ち込む。検査は自費診療で、高額で、みんなこれ受けてんのかあ、お金持ちだなあ、すごいなあ、とりあえず父と母にがんばって相談してみることにする。わたしとしては、根暗を拗らせて鬱になってぜんぜん治る気がないだけの自堕落だと思っていたけれど、浅くググったら確かに発達障害の症状と合致するエピソードは幼少のころから今に至るまで思いつく限りでもたくさんあって、そういうことだったのかもしれない、とかなり落ち込む。先生からいただいた検査について書かれた紙を持って、父と母に会いに行く。うまく説明できなくて、相談できなくて、なにをどう言ったらいいのかわからなくなって、泣く。父は検査や発達障害そのものに懐疑的なようだった。けれど「検査を受けることであなたが少しでも前に進めるなら受けてみたら」と言ってくれた。わたしは。わたしは。わたしは。わたしは、検査を受けたとして、発達障害であったとしても、発達障害でなかったとしても、もう前になんか進みたくないのだ


・某日

昔、あるひとから「海外に行ったことある?」と聞かれ、「タイとか」と答えた。「何日行ったの?」「3泊4日?5日?くらい」。そのひとは、「ふーん」とだけ言い、すぐに、じぶんは1ヶ月インドをバックパックで旅をして回ったことがあり、そこでの苦難と冒険と大麻と出会った人々に纏わるあらゆるエピソードを次から次へと話した。ああ、海外旅行マウントを取られているんだなあ、と思った。そのひとの話はずっとつまらなかった。インドを1ヶ月旅しても、この程度なのか、と思った。きっとこれまでも同じようにいろんなひとに話しているはずなんだから、せめておもしろく話せよ、つまらないと思わせるなよ、と思った。
最近、ちょっとずつ衣替えをしていて、かつてタイに行ったときに買った、ゾウさんとThailandというレタリングの刺繍がされているご陽気な帽子が出てきた。帽子に罪はないのに、タイはすごくたのしかったのに、あいつのつまらないインドエピソードが邪魔をする、今でも。わたしは卑屈で恨みがましい、すべてを他人のせいにするくだらない人間だ


・某日
にんにくが入っている高菜パスタの素で、雑なチャーハンみたいなものを作った。ウーン、おいしくないなあ、と思いながら食べて、その日から数日おなかを壊し続けた


・某日

ねこのお世話をする日が近づいてきた。ねこはわたしがお世話をすることを許してくれるだろうか。定期的な労働とは相変わらず程遠い沼に爪先からあたまのてっぺんまでぐちゃぐちゃに浸かっている。どうです?惨めなわたし。「じぶんの力でどうにかしろよ」と怒鳴られたことがあって、でも、じぶんの力ではとうていどうにもできなくて、でも、じぶんの力で。じぶんの力で。じぶんの力でどうにかしなきゃ。ちまちまと着なくなった服を売ったり、読んだ小説や漫画を売ったりして、小銭を稼ぐ。わたしの作った曲をきいてもらうよりも、わたしの作ったTシャツやZINEやCDを買ってもらうよりも、遥かに手っ取り早く小銭を稼げる。それもあっという間に消えてゆく。バイトルのアプリを入れて求人を眺めていると、働き出すまでの膨大な手順と他人とのやりとり、働き出してからのあらゆる恐怖と不安に押し潰されて、泣く。わたしはちゃんとしたわたしになりたかった。ちゃんとしたわたしは、働きながら音楽や写真をやり、毎朝起きて、決まった曜日の決まった時間にゴミを捨てて、電車に乗って会社へ行って、貯金とかもして、父と母に「ふたりで行ってきなよ、ねこはわたしがみてるから」と台湾旅行をプレゼントして、両親ともきょうだいとも仲良くやれて、ある程度の金額を納税して、寄付をして、行きたいときに行きたいところへ行って、会いたいひとに会いに行って、あらゆるひとと適切な態度と言葉でコミュニケーションを取り、朗らかで、快活で、
ちゃんとできないわたしは、社会のお荷物、社会のお荷物、社会のお荷物、社会のお荷物、エアコンつけたら電気代高くなっちゃうな、払えないな、エアコンってなんかあたま痛くなるし、あー、もう、死んだほうが楽かもしれない、もう、死んだほうが楽であってほしい




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