2024年10月ごろから12月18日までは抵抗と灯火のための準備に奔走していた。初めて使うチケットの販売サービス、それに伴う諸々の登録や手続き、出演のためのリハを重ねても思うように歌えず、不安な状態のまま当日を迎えた、そしてなんとか12月19日を過ごせた。この日のことを書こうとすると、今でも言葉に詰まる。
精神疾患で、2年くらい通っていたクリニックから転院したのも10月だった。12月20日から今日までほぼずっと横になっているような生活を送っているのだが、薬を調整してもらったり変えてもらったりして、鬱抜けした感じはする。が、依然として、映画も読書も集中力が続かなくて思うようには観たり読んだりはできないし、カタカタ震えながらこれを書いている。
数日前に友人と新宿のタイムスでお茶をした。パレスチナのことや個人支援のことやシオニズムのことを話したりしながら、コーヒーを2杯のみ、思う存分喫煙をした。友人と一旦解散し、池袋のデモへ行き、また友人と再会する。毎週水曜日に行われている池袋のデモはオープンマイク制で、スピーチやコールを歓迎してくれている。わたしは以前参加した際にコールをさせてもらったこともあるのだが、昨夏ごろから「声を発する」ことに違和感というか、言葉にしがたい感情を覚えるようになり、コールをさせてもらうことも、コールに応えることもできずにいる。友人はよく通る声でスピーチをされていた。わたしは行きの山手線で具合が少し悪くなっており、座ってプラカードを持ち、鈴を鳴らしたり、鳴らすのをやめたり、時々立ってみたりしながら過ごした。
ガザにいるドーアとやりとりをする。お母さんがIOFの攻撃により指を失い、その治療のためのお金が必要だ、とのこと。ビデオ通話でお母さんの失われた指の傷口を見せてくれた。お母さんは酷い痛みだろうに、わたしに向かって手を振ってくれた。先に集まった390ドルを送金し、今は治療の継続のために300ドルを支援してほしいと相談されている。以前なら、街頭に立って寄付を募っていたかもしれないが、わたしには小銭をお札に変える力も、経済力もなく、ひたすらXとインスタグラムで呼びかけるほかない。300ドル。約47,000円。本日の時点で5,000円弱お預かりしている。「お金は今いくら集まっている?」「いつまでに集まる?」「明日?」という質問に答えるのがくるしい。
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