お金がない。口座の残高とカードの請求額を何度も見比べた。むなしい時間だった。わたしは、お金がない。デモに行く交通費すらない。ひとまず、デモに行くのをしばらくあきらめることにした。スタッフとして参加する予定になっている7月26日のニューロダイバーシティプライドには行く。ノリでkanekoayano静岡公演のチケットをとったのもあって、先月から今月にかけてはカードの金額がとんでもないことになっている。おい、無職がプチ遠征してる場合じゃなかろうが。という声もきこえてくるが、とれたチケットが静岡でよかった。もっと遠い場所だったらわたしは確実にお金が超超超なくなって途方に暮れていただろう。と考えることにする。ホテルもバスも予約した。kanekoayanoはみにいくのだ。
今月はなんとかなる。けれど、今月働けていないということは、来月もお金がないということで、来月はなんとかならないかもしれない。そう思いながら、1年超にわたって支援してきたガザのアラーから末っ子のベイビーアラー(お母さんのアラーと赤ちゃんのアラーは同じお名前)のためのおむつを買う費用100ドルを寄付してほしいとSOSがきて、インスタグラムで寄付を募ってみたものの、やはり集まらない。お金を出してくれるひとはもう出し尽くしてくれていて、寄付活動をしているひとはみんなそれぞれに支援しているひとや家族がいる。ベイビーアラーを待たせたくなかった。わたしは100ドルを寄付した。ないお金だ。アラーにはもちろん内緒だ。寄付したよ、と連絡をし、前歯が生えかかっていて毎日泣いているというベイビーアラーの寝顔の写真を送信してもらう。この子のためなら。
お金がないのにまた寄付をしてしまった。後悔はしていない。でも、もうこれでほんとうに最後だ。わたしにとって100ドルは大金だ。とにかく、お金がないのでZineやCDやシールやバッジを買ってください、と宣伝する。だれからもご注文の依頼は来ない。わたしがじぶんの作るものをゴミかもしれないと思う瞬間は、お金がなく、だれからもレスポンスがないときだ。少しずつ、憂鬱と、苛立ちと、情けなさと、そんなような類の感情でめちゃくちゃになってゆく。第一、「お金がないのでZineやCDやシールやバッジを買ってください」と言って、「ああ、このひとお金ないんだ」と憐れまれて買ってもらわれるのは嫌だ。気に入ってもらって、価値があると思って買ってもらいたい。しかし、こんなプライドもまるでゴミだ。ご注文がほしい。ああ、堂々巡りだ。こんなの、堂々巡りだ。
それでも、酷かった時期に比べて、うつは確実に良くなっている。わたしはきっと労働ができる。この夏中にバイトを探そうと思った。不安の種はいっぱいある。わたしにできる仕事はあるんだろうか?面接を取り付けるための電話はかけられるだろうか?かけられたとして、適切に話せるだろうか?面接には行けるだろうか?電車に乗れるだろうか?わたしが自閉スペクトラムというのはクローズにするのか?オープンにするのか?合理的調整・配慮をしてもらいたいけれど、そんなことを言っていたらいつまで経ってもバイトにありつけないかもしれない。社会の目はきびしい。労働よ、お前はいつになっても尊いのか!
売れるために音楽や写真や文章をやってるんじゃない。じぶんがやりたいからやってるだけだ。でも、わたしはお金がほしい。贅沢をするためのお金じゃない。つつましく生活していくだけのお金がほしい。月に1回か2回、映画館へ行くくらいの、半年に1回か2回、ライブハウスへ行くくらいの文化が享受できればいい。ここ1年半で、お酒を飲みに行くこともなくなった。増えているのは煙草の本数くらいだ。それでいいのに、それが叶わない。「来月になったら『ひかり探して』のCDを作ろう」「来月になったら川島小鳥さんの『사란란』を買おう」と思って、いつまでも作れないし、いつまでも買えない。貧すれば鈍するを地でいっている。
さて、選挙ですね。お金はないけど、わたしには貴重な投票権があるので、一票(今回は参院選だから選挙区と比例で二票だけど)投じにいきます。差別に投票しない。
---
こんにちは、自分のことかな?と思うぐらい共感してしまい、思わずコメントしました…。私はギリ週1働いていますが、実家に住んでいるのでなんとかなってる感じです。夏の間はもう少しシフトを増やしてお金を稼ぎたいなぁ。心身と相談です。あはは。選挙後の疲れと暑さにやられてますが、みからでたさびさんもご自愛ください。
返信削除