あの街って天国

2025/08/04

日記

 3年前、適応障害になり、その後うつになった。人生の中で転職は何回かしたが、どの職場でも日々ノルマに追われる類の仕事をしていたのと、上司によって指示が異なることに対してどうしたらいいのかわからなかったのと、人間関係がうまくやれなかったのと、などなど、で向いていない仕事を10年近く続けていたツケが回ってきたのだと思った。ほどなくして自閉スペクトラムの診断がつき(今は診断名が変わってグレーゾーンかもしれない)、うつはどんどん悪化した。人間がこわくてこわくて仕方なかった。わたし、もう働けない。死ぬしかない。ずっとそう思っていた。


パレスチナのことで声を上げるようになって、パレスチナ連帯のライブも何本か企画したし、デモにも参加するようになったし、知らないひとと自己紹介をしあってインスタグラムの交換をしたり、インスタグラムの交換をしていたひととデモやアクションの場で会って自己紹介しあったり、そういうことができるようになった。働いていないわたしにとって、デモやアクションへ参加することは重要な社会参加の一端でもあった。ほっておいたらずっと家にいてうじうじめそめそしていたと思う。


わたしのにがてな場面がどういう場面なのかも理解するようになった。あらかじめそういった場は避けるようにしたり、頓服を持ち歩いたり、参加をしてもエネルギー切れになる前に早めに帰ったりといった対策を取れるようになった。ひとより体力がないこともわかった。


働かなきゃな、働かなきゃな、でもな、でもな、みたいな状態を春ごろからずっとつづけていて、「よーしもういったれ!」となったのは、デモへ行く交通費すらなくなってしまったのに、9月にタトゥーを入れる予約を取ったからだ。お金がこれっぽっちもないのにタトゥーの予約を取ってしまった→働かなければいけない、という状況になった。求人を眺めて、良さそうな募集に応募し、あれよあれよと面接へ行き、これまたあれよあれよと採用してもらえた。


不安はたくさんある。低収入でなんとか生きていかなければいけないし、ガザのひとへ寄付もつづけなければいけない。発達障害の診断がグレーゾーンになっているとしたら、障害者年金ももらえなくなってしまうかもしれない。そうしてまた制度の網目からこぼれ落ちてゆくのかもしれない。かもしれない。かもしれない。わたしの頭の中は未来の「かもしれない」に対する不安でいっぱいだ。


100点を取れなければ意味がない、70点や80点では0点と同じ、という極端な思考の癖も直さなければと思ってはいるが、なかなか直らないし、お店の店員さんにちょっと嫌な対応をされたくらいでパニックになる。じぶんの感情にも振り回されがちだが、他人の感情にも振り回されがちだ。


ランチブレイクの「あの街って天国」は冬がひとつのテーマの歌っぽいけど、真夏にきくのも最高で、でもこれを冬にきいたらどんな気分になるだろう、と思う。


さて、明日からバイトが始まる。バイトとはいえ、3年ぶりの労働だ。めちゃくちゃ緊張している。でも、ここまで回復したじぶんを奇跡のようにも思う。わたしは少しずつ大丈夫になってゆく。何度も死を考えたあのころのわたしに、今はタトゥーをたくさん入れたイケてるおばあちゃんになるのが夢のひとつだと教えてあげたい。

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