与えられてばかり

2022/05/23

日記

5月某日。
あらゆるSNSの、フォローしてくれているひとに対して、いつでもフォロー外してくださいね、ミュートしてくださいね、というきもちを忘れないようにしている。現実における面識の有無に関わらず、人生における人間関係は点、それはSNSではなおさらだ。けれど、この前、Twitterにて副業インフルエンサー系のひとからフォローされたのち、曲を宣伝するための固定ツイートにもいいねがついてフォローされて「へえ、めずらしいひともいるものだなあ、ありがとうございます」と思った。しかしわたしは副業インフルエンサー系のひとには興味がないのでフォローを返さずにいたら数日後にリムーブされ、前述のいいねも外されて、ハッ!クソがよ!ビジネスいいねやめろや!!!!となってしまった。まだまだ鍛錬が必要だと思った。

5月某日。
当方空気階段のにわかファンかたまりギャルのため、radikoで踊り場を聞いて、セブンでタルトタタンを買った。食べた。多分初めて「タルトタタン」を食べた。セブンのタルトタタンはやわやわのスポンジケーキみたいのにアップルパイの中身が乗っているやつだった。わたしはどちらかといえば噛みごたえのある硬いおかしがすきだったことを思い出した。石みたいなおかし食べたい。もう石でいい。むしろ石がいい。石食べたい。

セブンイレブンのタルトタタンの写真。
インスタのストーリーにあげようと思ってiPhoneで撮ったけどあげそびれていた写真の供養

5月某日。
11時ごろ、睡眠薬を飲んで寝ようとしていたら、30分後くらいに家族からメールが送られてくる。家族の中で問題が起きていて、そのことについてのメールだった。今はもう寝なきゃいけないから読まない、と思いながらも、気になってしまって結局メールを開いて読んでしまい、その結果何度も何度も読んで、返信をするかどうか、書きかけては止め、書きかけては止め、を繰り返しているうちに2時近くになってしまって、とうに11時に飲んだ睡眠薬が効力を発揮するピークは過ぎていた。メールを読んで気持ちが落ち込んでしまったこともあり、睡眠薬もう1錠と不安を抑える薬を1錠飲んでiPhoneを伏せて枕元に置いた。翌日、朝目が覚めたら、四肢も頭も内臓も鉛みたいで、無理やりベッドから体を引き剥がそうとしたが起き上がれず、心もぐちゃぐちゃで、会社を休んでしまった。この皺寄せは明日の自分に来るのに、という不安に襲われながら1日中横になっていた。ランジャタイのぽんぽこラジオを聞いたり、聞かなかったり、寝たり、またぽんぽこラジオを聞いたり、聞かなかったり、寝たりしているうちに1日が終わった。その次の日も休みたかったけれど今日休んだらもう一生行けないなと思って頑張って出社した。えらすぎる。自分をほめたい。

5月某日。
空気のように希死念慮がわたしの体全体に薄く膜を張っている。でも、苦手なひとと関わりたくはないけれど通常モードであれば我慢してヘラヘラすることはできるし、すきなひととは普通に会話はできるし、たのしいと思う瞬間もある。心の底から笑える瞬間もある。大丈夫。まだ大丈夫。生きていける。6月に公開予定の映画で観たいものも何本かあるし、めぐちゃん(友達)から星野源さんの「ばらばら」を借りたから返さないといけないし、野崎りこんさんのCDが届くのもたのしみだし、江沼郁弥さんのグッズも6月に入ってから届く。大丈夫。たのしみだな、これを摂取するまでは死ねないな、と思えることが、思わせてもらえることが、わたしにはある。「ザ・ウォーク」の、ジョゼフGレヴィット氏演じるフィリップ・プティみたいに、生活していく上で綱渡りをしているような感覚はある。でもまだ綱渡りできている。大丈夫。

ドーナツのフィルム写真。
人生でいちばん妥協したラインナップのミスド