世界でいちばん嫌いな作業はドライヤー。うるさい。暑い。あと毛量がすごい多いのでキリがない。最悪。きょうもシャワーを浴びて、あーあ、ドライヤーやだな、めんどくさいな、と思いながら、夏が来始めていることを思い出した。洗面所でのドライヤーをさっさとやめて部屋に戻ってサーキュレーターをオンにして前に座る。涼しい。あとなんとなく髪も乾く。夏は苦手だけどこれだけはすき。
心がぐちゃぐちゃになり、電話は苦手だけれど勇気を出してクリニックに電話をかけて、通院の予約を2日早めて取り直すことに成功する。
その間も心はずっとぐちゃぐちゃのままで、ヘラヘラしたり、メソメソ泣いたり、ペラペラ喋ったり、浴びるほど酒を飲んで泥酔してキモいラインをひとに送りまくったりして人間関係が終わったりした。かなしい。すごくかなしい。でもこれはわたしのせい。己のつらさを無闇に他人にぶつけてはいけない。他人は生きている。他人の人生がある。他人にもわたしと同じように心がある。無意識に他人は壁だと思っていた。他人という名の高い、分厚い、壁にじぶんからガンガンぶつかって、勝手に傷つくわたしには、他人という名の壁に向かって、つらさやくるしさやかなしさという名のボールを、力いっぱいぶつける権利があると思っていた。そんなの、わたしの傲慢だった。そんな権利なんてだれにもない。少なくともわたしにはない。じぶんのことをどれだけ特別だと思っていたんだろう。謝りたい。でも謝らない。謝れない。謝っても意味がない。こんなゴミみたいなわたしの「ごめんなさい」は、嘘でしかない。弱すぎる言葉。ほんとうだけど、嘘でしかない。わたしが死ぬまで抱えていくしかないものがまた増えただけ。生きてくのってどんどん呪われてくみたい。
所用で母子手帳を初めてまともに読む。母のメモに涙が出る。素直にのびのび大きくなれなくてごめんなさい。わたしはだれの期待にも応えられない。そもそもだれか期待してくれているのかもわからない。自己肯定感がどん底まで沈む。満たされることなどない、わがままな心。

通院日。家を出たら夏だった。なんかもう夏だった。服を考えるのがめんどうで(心をここまで患う前はなにを着るか考えるのはすきだった)、plentyのTシャツと江沼郁弥さんの極楽トートバッグで出かける。すきなひとのグッズを身につけていると少しだけ大丈夫になる。気がする。電車に乗るお金がもったいなくて、30分かけて歩いて向かう。地図アプリだと30分で着くところが、暑いせいか、体力がないせいか、50分くらいかかって、ウケた。だめだめだ。どんどんだめだめになっていく。心も体もだめになってく。
クリニックに着いて、受付をして、わたしの番が来て、ノックをし忘れて診察室のドアを開けてしまい、「あああ、ノックをし忘れましたすみません」と謝りながら入る。先生はいつも通り「大丈夫ですよ、吉岡さん、どうですか」と話を始めてくれた。わたしは過去史上最大に己がやばい状況にある、と思っていた、けれど、全然大人が大人に使う言葉が思い浮かばなくて「やばくて、もう、やばくて」と言った。「やばい」って。情けない。恥ずかしい。すでに目頭がギュンギュン熱くなった状態で「きょうはご相談したいことがたくさんあって、携帯にメモをしてきたので、メモを見ながら話してもいいですか」と言うと、先生は「全然いいですよ」と言ってくれ、わたしは、涙を堪えながら現状について、時折ヘラヘラと笑いながら話をした。そして「仕事をお休みしたいです」「出社するのがこわいです」「感情のコントロールができなくてお友達にも迷惑をかけてしまっています」と言った。先生もわたしの目を見て「そうしましょう、そうしたほうがいいです」と言ってくれた。先生は淡々としている感じの方なのだけれど、最後の最後に「ここまでよくがんばったと思いますよ」「よくがんばったじゃないですか」と言ってくれて、わたしはボロボロボロボロ泣いた。わたし、がんばれましたかね、がんばれてましたかね。がんばれてなかったと思う。きっといろんなひとを傷つけた。傷つけたくないひとを、傷つけた。と、思うのも、傲慢かもしれない。感情が邪魔をする。自意識が邪魔をする。じぶんに自信がない。
診断書を書いてもらって、診断書たけえなあ、と思いながら、手がガタガタガタガタ震えてうまく診察券やらおつりやら領収書やらをしまえなくて動揺する。薬局へ行って、薬をもらう。薬局を出て、イヤホンをつけて、野崎りこんさんの「We Are Alive」をきく。ルックバックfreestyleの1音目が流れた瞬間に涙がまたボロボロボロボロ溢れた。CD買わせていただいて、きょう、きょう、いま、いまこの瞬間に聴けてよかった。わたしはきょうのことを絶対に忘れない。音楽があってよかった。音楽があってよかった。音楽があってよかった。音楽があってよかった。

summer hazeの”「なあエヴァ、観た?」「まだ。破もまだ」”が気持ち良すぎます
帰り道に銭湯があって、15時のオープンまで一番風呂待ちをしているご年配の方々がたくさんいらして羨ましかった。
2週間くらい前に出したクリーニングを受け取って帰って、情けない人間なりに完璧な1日にしよう、と思ったら、ちょうどクリーニング屋さんがお昼休憩中で息を飲んだ。時間的にはあと30分くらいで休憩が終わる時間だったけれど、そんなに待てないし、暑いし、あきらめて近くのファミマに入ってひとくちフィナンシェと、散々迷った末に喉が渇きすぎていたので金麦を買った。ファミマを出て、金麦を飲みながら家に帰る。

会社と家族に現状の連絡をする。このことを、きょうのことを、きょうのこの感情を、いま、いま、書かなきゃ、と思うけれど疲れ果ててウトウトする。睡眠薬を飲み始めてからあまり夢を見なくなったけれど、お友達が夢に出てきて、いっしょにタトゥー屋さんに行ってくれて、わたしがタトゥーを入れている間、痛がるわたしの手を握っていてくれる夢を見た。目が覚めたらちょうどそのお友達からラインが来ていて、また少しだけ泣いた。会いたいって言ってもいいかな。すきだから、今すぐ会いたいって言ってもいいかな。言えないな。

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