短編小説「あなたを安心させたかったです、と思っていたかったです」

2022/09/20

日記

・某日
金銭感覚がバグりすぎていてありえない量のTシャツを買っている。着るのはわたしだけなのに。まあでもTシャツなんてなんぼあってもええですからね~とイマジナリーミルクボーイが浪費を慰めてくれる。

・某日
洗濯したらTシャツがぜんぶねずみ色の回があってウケた。

ねずみ色のTシャツばかりの洗濯物が干されている写真。

・某日
すきなひとに振られた。ああ、やっとこのひとと向き合えそうだ、やっとこのひとと上手に付き合えそうだ、と思っていたところだった。わたしは人間関係の築き方が、ずっとわからない。すきなひとの「別れたい」という意志を尊重したかったのに、気がついたら「別れたくない」と繰り返し言うだけの、無職・脳なし・金なし・鬱病・希死念慮まみれの大馬鹿依存ゴミ人間になっていた。わたしのほうを振り返らずにスタスタと歩いていくだいすきだった背中を、ポロポロ涙を流しながらぼんやり眺めていた。わたしの視界からその背中すら消えて、途方に暮れて、家に帰ってきて、「よし、死のう」と思って、気がついたら心療内科から処方されていたありとあらゆる薬をキンミヤで流し込んでいた。すきなひとはわたしが心療内科にかかっているのを、薬を飲んでいるのを、嫌がっていた。このひとのために良くなりたい、元気になりたい、と思っていた。すきなひとが嫌がることはしたくない。だからすきなひとの前では薬を飲まないようにしていた。すきなひとと一緒にならなんとなく眠れた。ぐっすり眠れた日もあった。たまにこっそりエチゾラムは飲んでいたけれど、薬はたくさん溜まっていた。100錠以上あった。もうどうでもよかった。あの背中を追いかけなかったことだけは正しい選択だった。

・某日
朦朧とする中、目が覚めた。明け方のようだった。ベッドの上にまっすぐ横たわるじぶんの脚を眺めて、またすぐ意識が飛んだ。次に目が覚めたときは、記憶のない数々のラインやDMのやりとりをしたあとがあった。文章を書けていたり書けていなかったりした。行きたいと思ってチケットを買っていた映画に行けなかった。行きたいと思って取り置きをお願いしていたライブに行けなかった。家族とうまくやれないわたしを、喋るのが遅いわたしを、頭の回転が遅いわたしを、働けなくなっているわたしを、心の奥底ではさっさと死にたいと思っているわたしを、あのひとは許さなかった。と思う。わからない。でもそうでなければ「生活保護の女と付き合ってるみたい」「傷病手当金とか当てにしないでじぶんの力でどうにかしろよ」なんて言葉は出てこないよな。当たり前だ。わたしだって許せない。こんな、死にたい人間、管みたいな人間、なあんにも生み出せない人間と一緒にいても消耗するだけだ。笑うことさえ上手にできなかった。最後に残っていたなんらかの薬を10錠くらいポリポリ食べた。妹が心配して来てくれた。何かを話した記憶はある。それもよく覚えていない。

・某日
まだ生きていた。薬は飲み切ってしまってもうない。あるのは太田胃酸とイブとビオフェルミンとエビオス錠のみ。死ねるわけがない。さて、では首でも吊ろうかと思ってベルトを棚の柱にかけて目を閉じた。

・某日
目が覚めたらベルトは自重で柱からほどけていた。もう死ぬエネルギーも残っていない。生きていたくないけれど死ぬこともできない。床に転がって天井を眺めながら「ああ、煙草吸いたいな」と思った。「ビール飲みたいな」と思った。視界がグラグラ揺れる中、這うようにローソンへ行って、煙草2箱とバドワイザー2本とアイスをたくさん買って、這うように家に帰ってきた。泣いた。みじめであわれで情けない、縋ることしかできないわたし。助けてほしい。だれか、だれでもいいから、助けてほしい。殺してほしい。

・某日
徒歩5分もかからないローソンでさえ息絶え絶えで行ったというのに、どうにかなりたくて美容室を予約した。無職のくせに。2回も死のうとしたくせに。殺してくれって思ってるくせに。髪を切って、髪を染めた。マスクがくるしかった。死にそうだった。平気なふりをした。できていただろうか。何度もマスクを持ち上げて深呼吸をした。右手も左手もずっと震えていた。美容師さんに「かわいくなりましたね」と言われて、泣きそうになった。そのあと、妹が多摩川で石を拾うついでに写真を撮ろうと言ってくれていたので、髪を切って髪を染めて、かわいいいきものになれたわたしは小刻みに震え続ける手や肩をぎゅっと握ったり抱きしめたりしながら電車に乗った。妹と合流できてホッとした。写真を撮った。たくさん撮った。赤い石を見つけて、ガンガンと石で石を掘り出す妹を見てゲラゲラ笑った。「石の様子を見てくるからちょっとここで休憩していて」と言ってジーパンをグルグルとロールアップして、迷いなく川にザブザブ入っていく妹を見てゲラゲラ笑った。笑っていいのかわからないけど、笑えた。石を拾いながら、写真を撮りながら一駅分歩いた。煙草を吸って、チーズ月見を食べて、煙草を吸って、サイゼでデザートを食べた。そして、気が大きくなったわたしは「今年の初めに作った曲がある」「MVを撮りたい」「曲をきいてほしい」と話をした。妹は「今きくの?!」と言いながら、その場で何回も歌詞を読みながら曲をきいてくれて「作ろう」と言ってくれた。うれしかった。うれしくなっていいのかわからないけれど、うれしかった。妹は石を抱えて帰り、わたしは撮り切ったフィルムを1本現像に出しに行きつつ、お酒を少しだけ飲みたくて、よく行く飲み屋へ行った。飲み屋でヘラヘラと付き合っていたひとに振られて死のうとした話をした。そして現像したフィルムを取りに行ったら1枚も撮れていなかった。写真すら満足に撮れないじぶんに一気に酔いが覚めた。そもそも死のうとした話を第三者にヘラヘラとするなよ。迷惑じゃないか。こういうところなんだよ。あああ。そして、郵送現像をお願いしている5本のフィルムは撮れているのかしら。そして、今いれているフィルムはちゃんとセットできているのかしら。なにもかも自信がなくなった。飲み屋に戻って、ジャスミンハイを飲み続けながら、その間、スペアザとハナレグミと折坂悠太がシャッフルでずっと流れていて、目頭が熱くなった。1杯で帰るつもりが結局1時過ぎまで飲んでしまった。泣き出す前にお店を出て、じぶんの曲をききながら帰ってきた。泣いた。わたしが泣くのをあのひとは嫌がったな、と思いながら、泣いた。わたしはすぐに泣く。心のうちを言葉にしようとするだけで泣く。考えがまとまらなくて泣く。きかれたことに答えようとするだけで泣く。わたしの涙に少しも価値はないのに、あのひとを無闇に傷つけていたのかもしれないと思って、また泣いた。

並べられた石のフィルム写真。

・某日
数日前の騒動で眠剤も抗不安剤も手元にない。じぶんのせいだ。これを書いているのは4時55分。眠くなる気配がない。日記を書き続ける才能だけはあったけれど、かなしいことしか起きていないここ数日のできごとを書き留めておくにはまだ時間が足りない。1週間前、2週間前、3週間前の日記がこわい。あのひとの名前ばかり書いていた。あのひとが見せてくれた世界のことばかり書いていた。あのひとのすきなもののことばかり書いていた。「なにもかもすべて良くなる」と書いていた。いま、わたしは、なにもかもすべて良くなるには、どうやったらいいのかわからない。またわからない。「しっかりします」と言っておきながら、少しもしっかりしていなかった。わたしはなにもかもすべて良くなれるんだろうか。良くなれるとして、良くなっていいんだろうか。

・某日
結局3時間くらいしか眠れなかった。でも別にそんなことは大した問題ではない。仕事をしているわけではないのだから。17時の通院まですることがなかった。家の中がぐちゃぐちゃだから、お掃除とか、お洗濯とか、シンクに溜まったコップを洗ったりとか、やったほうがいいことは山ほどあるのだけれど、ベッドから起き上がることができなかった。無気力。無関心。YouTubeと海よりもまだ深くとインスタグラムをぐるぐると行ったり来たりしているうちに15時になった。動作に時間がかかるので早めに出かける準備を始める。あのひとに「全然いいと思わない」と言われたTシャツを着て、あのひとに「スカートとか女の子っぽいやつにしてよ」と言われたハーパンを履いて家を出る。電車に乗るのがこわかったのと、早めに出かける準備を始めたおかげで時間に余裕があったのでゆっくり歩いて病院へ行く。病院は空いていた。10分くらい待った後にすぐ診察室に呼ばれ、先生にここ数ヶ月~数日のできごとをゆっくり話す。わたしの話を最後まできいてくれたあと「100錠程度では肝機能にも腎機能にも影響がない薬しか処方していないので問題ないです」と言った。絶望した。ああ、あの日のわたしのあの衝動は無意味だったんだな、と、力が抜けた。先生は「ただ、」と言葉をつなぎ、「100錠も飲むとお話していただいたように意識が飛んだり、朦朧としたりするので、その間に大きな怪我をしなくて良かったです」と、わたしの目を見て言ってくれた。涙が出た。まただ。また泣いてしまう。やさしい言葉に弱すぎる。あらゆる言葉に、弱すぎる。薬の量は2ヶ月前と同じ量に戻った。なにもかも元通り。病院を出て、薬局で薬をもらって、涙でビショビショのマスクを外した。煙草を吸いたい気がするな、と思って駅前のロータリーの喫煙所に寄る。空を見上げながら吸う煙草はおいしいなあ、夕焼けきれいだなあ、わたし、大丈夫になれるかなあ、なれる気がしないな、「働くよりもまずは出かけたり身の回りのことをできるようになることを目標にしましょう」って言われたな、お酒なら飲みに行けるって言えなかったな、あああ、どうでもいい考えがプツプツと浮かんでは消えていくなあ、ヤニクラしてるかもなあ。そうしてゆっくり一本吸い終えたらヤニクラしていた。きもちよかった。そういえばきょうはまだなんにも食べてなかったな。ごはんって、ほんとにどうでもいいな。生きるのって、ほんと、どうでもいい。あのひとと出会ったばかりのころ、「君は良くなろうとしていない」と怒られた。ほんとうにそうだ。いまだって「だれにも迷惑をかけずに消えたい」「眠れたらそのまま目を覚ましたくない」、そればかりだ。そればかり。こんなわたしの作る曲で、撮る写真で、紡ぐ言葉で、己の魂すら救えずに、許せずに、いったいだれの心を掴めるというんだろう。

・某日
あのひとを撮った写真を妹にみせたら「写真って写っているひととの距離感が出るけど、ぜんぶ遠いね」と言われた。確かに、ほんとうにぜんぶの写真が遠くて、後ろ姿ばかりで、顔が写っている数枚の写真はすべてコピペしたような笑顔だった。あのひとはわたしに心を許してなかった。し、わたしもあのひとに心を許してなかった。わたしはわたしがほんとうにすきなものの話は、音楽の話も、映画の話も、写真の話も、お笑いの話も、ラジオの話も、漫画の話も、あのひとになにひとつできなかった。勇気を出して、たった一度だけ、ノーベンバーズの「今日も生きたね」のYouTubeのリンクをラインしたことがあった。あのひとからは「暗いタイトルだね」「歌詞読んだよ」「感傷的になるだけじゃ人間関係はうまくいかない」と返事がきた。わたしは「今日も生きたね」は、穏やかな曲だと思っていた。穏やかで、力強くて、やさしくて、赦しと救いの曲だと思っていた、思っている。きっとあのひとは曲まできかなかったんだろう。わたしのすきなものには興味がなかったんだろう。わたしがどう感じて、どう思っているかなど、どうでもよかったんだろう。それきり、plentyも、江沼郁弥も、チャットモンチーも、きのこ帝国も、syrup16gも、BAYNKも、EMBRZも、Vancouver Sleep Clinicも、岩井俊二も、今泉力哉も、是枝裕和も、坂元裕二も、テアトル新宿も、武蔵野館も、「ビフォア」シリーズも、ウェスアンダーソンも、グザヴィエドランも、川島小鳥も、枝優香も、空気階段も、ハライチも、いろはに千鳥も、浅野いにおも、いくえみ綾も、ちいかわすらも、なんの話さえ、なんの話さえひとつたりともできなかった。だからこれでよかった。これでよかった。まだわたしという体や心にかなしみが薄い膜を張っているけれど、きっと正しい未来にいる。久しぶり、自信がないわたし。生きることに興味がないわたし。

※この話はフィクションです

床に散らばった薬の空き殻のフィルム写真。かなりぶれている。