兄の結婚式的なイベントのために大阪へ行ってきた。自我を持ってから初めての大阪。奥さん(という呼び方でよいのだろうか)はとてもかわいらしい方なのだが、ドレスを身に纏われた姿はとてもうつくしくて、とてもきれいで、そして、兄のことをかっこいいと思ったことは今まであまりなかったのだが、兄がめちゃくちゃかっこよくて、ふたりがニコニコしているのがうれしくて、素敵で、まぶしくて、胸が震えた。

わたしは笑うと口角が下がり頬袋ができる
日帰りの予定だったのだが、台風の影響で新幹線が止まってしまい急遽大阪で一泊。切符を取り直すのにみどりの窓口に並ぶ間、この夏いっしょに過ごしたひととの話を兄にしたら「別れて正解だったよ」「死ななくてよかったよ」と言ってくれて泣きそうになった。「次は家族に紹介できるような穏やかなひとと付き合いたい」と言ったら「それがいいね」「結婚式とかやることになったら呼んでね」と言ってくれた。あとちゃんと選挙に行くひとがいい。でも、この先万が一だれかと付き合って、億が一結婚することになったとして、たぶんわたしには結婚式をやるお金もエネルギーもないからやらないと思うけれど、やることになったら呼ぶに決まっている。でもしばらくはだれかを恋愛的なアレですきになるのはめんどうだし、付き合うとか付き合わないとかそんなことよりもじぶんの暮らしをじぶんで立て直さないとだめだ。と思う。兄に切符の振替を手取り足取り教えてもらって、奥さんにホテルを取ってもらって、ホテルのチェックインまで見守ってもらって、至れり尽くせりだった。エレベーターホールでふたりを見送った。心の底からお似合いのふたりだと思った。お兄ちゃん、奥さんと出会えてよかったね。奥さんのことを手放してはいけないよ。
眠剤を持ってきていなかったのと、お酒を飲みすぎたのと、なれない場所にずっといるのとでなかなか寝つけなかった。せめて隣で寝ているであろう妹がまぶしくないようにと布団をすっぽりかぶって、U-NEXTで数年ぶりに「リリイ・シュシュのすべて」をみる。だんだん暑くなってきて、結局布団を剥いでiPhoneを煌々とさせながらみ続けてしまった。妹は起きていたかもしれないけれど、なにも言わないでくれた。まぶしかったらごめん。
翌日、大阪に住んでいらっしゃる妹の彼が朝からきてくれた。ほんとうは朝ごはんを一緒に食べて、10時の新幹線で帰る予定だったのだが、台風の影響がまだ続いていて、もう一度夕方の新幹線を取り直す。この情報も兄が詳しくラインをしてくれて無事取り直せた。感謝。妹に「ふたりでデートするならそれでも大丈夫だよ」ときくと「いいよ、3人で遊ぼう」と言ってくれた。感謝。仲良く御堂筋線に乗って心斎橋へ。最近できたらしいパルコに入り、どんぐり共和国でテンションが爆上がり(東京にもあるのにね)のち、キャラクターショップみたいなお店で山のように並べられたちいかわグッズを見つけて(東京にもあるのにね)わたしの脳みそは完全におかしくなってしまい爆買いした。当方無職、カードが擦り切れる。口座が燃え尽きる。でもそんなことは大した問題ではないと思えるくらいおかしくなっていた。喫煙所で煙草を吸って、パルコを出て、古着屋さんをみてまわり、アイスドッグなる禁断のたべものをたべた。おいしかった。


夕方の新幹線はふつうに動いてくれていて、帰ってこられてしまった。京都あたりで煙草を吸う。コロナのせいで喫煙ルームは一人に人数制限されていて、わたしの後ろに二人並んでいて、大急ぎで吸う。新幹線の揺れや、信じ難いほどの猛スピードでぐんぐんと過ぎてゆく車窓の景色も相まって、クラクラのクラで席に戻る。妹と一言二言会話をしたあとはすぐに寝てしまえて、目が覚めたら新横浜の手前あたりだった。よく寝た。日はとっくに暮れていて、もう東京だった。きもちが落ち込む。

体の震えと視界の揺れが止まらない。震えている、揺れている、と気づくと余計震えたり揺れたりしやがる。逆のパターンもしかりで、止まっていると思うとまた震えたり揺れたりしやがる。最悪。デパスが切れるとこうなるのか、デパスを飲むとこうなるのか。そもそもデパスなのか。アルコールなのか。ニコチンなのか。通院日、ガタガタ震えながら病院へ行ったら、一年通い続けて、初めて主治医に「心配です」と言わせてしまい、己が存在している位置のやばさを知る。仕事をしているときも最高0.5ミリ×2回だったデパスは1ミリ×2回に増量された。セルトラリンもクソデカ大粒になった。通院のペースは下がらない。

増量された薬を飲んで、明け方にやっと眠れる、と思ったが、部屋の入り口のところで首を吊っているひとがいた。なんで、なんでなんで。なんでここにいるの。どうやって入ってきたの。なんでここで死のうとするの。なんでなんでなんでなんで。パニックになるが、金縛りにあっていて体が動かない。声も出ない。もうそこにいるひとは足が宙にぶらぶらと浮いている。死んでしまう。早くしないと死んでしまう。あたまの中がぐるぐるぐるぐるする。やっと右手が動いて、照明のリモコンに手を伸ばしてスイッチをオンにする。なんのことはない、ただの影だった。ただの影。だれもここにはいない。iPhoneをみたら4時過ぎだった。メソメソ泣いた。わたしにはなにもわからない。
翌朝。薬が増量された翌日にありがちな、だるい、起き上がれない、やる気が起きない(これは比較的ずっと)、じぶんに価値を見出せない(これもずっと)、胃のあたりが重い、の、虚無地獄。薬を飲むと認知機能も思考力も低下すると主治医は言っていた。その話をきいてから、じぶんの脳みそがバターみたいにとろとろに溶けている感覚が拭えない。実際、なにもわからなくなっている。雨が降っても落ち込むし、晴れて太陽の光が差し込んでも落ち込む。助かりたい。助かれない。助かる方法がわからない。助けてほしい。助けてもらう方法がわからない。わからない。わからない。わからない。もう嫌だ。ほとほとうんざりする。くるしい。息ができない。許せない。わたしを許せない。わたしはわたしのためにはなにひとつがんばれない。お友だちと一緒に飲みながら、お友だちは「月並みな言葉だけど」「死なないで」と言ってくれた。うれしくて、申し訳なくて、泣いた。ひとの前では泣かないと決めたのに。わたしはベッドから起き上がることすらできない。トイレと煙草のときだけ重たい四肢を引き摺っていく。またなにを食べてもおなかをこわすようになってしまった。めんどくさい。食べるのってほんとうにめんどくさいしどうでもいい。夜が長すぎるからこんな気分になる。と思っても、結局朝が来てもなにもできないことには変わりない。虚ろなこころとあたまで曲をこねる。歌詞を書く。歌う。写真を撮る。写真を選ぶ。意味なんてない。なにもない。虚無地獄。こんなわたしに、「死なないで」と言葉をかけてくれるやさしさを絶対に無駄にしたくないのに。ゴミじゃなくなりたいのに。

別のお友だちに「ポジティブになれば良い方向に向かう」と言われた。それはそうだと思う。ほんとうにそうだと思う。でもポジティブってなんなのかがわたしにはわからない。ずっとわからない。がんばってニコニコヘラヘラしていたらこんなことになってしまった。またそれを繰り返すのがこわい。いまはニコニコヘラヘラも上手にできない。ニコニコヘラヘラできないとまわりのひとを消耗させる。心配させる。わたしの涙に価値はなくてもひとの前で泣いたらだめだ。syrup16gがフルアルバムをリリースする。それまでは生きていけるだろうか。死なないでいられるだろうか。結局死ねないでいてしまうんだろう。理解のあるパートナーさん・理解のある配偶者さんのおかげでちょっとずつ良くなりました的なコンテンツを目にすると「結局ひとりじゃ良くなれないんだな」「立て直すことができないんだな」と答え合わせをしている。だからいいってことじゃない。だからこのままでいいでしょってことじゃない。このままではいたくない。仕事でおかしくなったはずなのに仕事から離れても一向に良くならない。良くなったかなと思ってもまた悪くなる。場合によってはより沈む。その落差でどんどんおかしくなる。かなしい。写真を撮って、写真に映る箇所は救える可能性が1ミリくらいあるとしても、フレームから切り取ってしまった映らない箇所は目を瞑って見過ごしている。かなしい。かなしい。かなしい。かなしいです。とても。だれのことも損いたくないのに。傷つけたくないのに。なにも失いたくないのに。大切にするやり方が、あいする方法が、わからない。

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