・なるほど、通りでずーっと鬱なわけだよ
総額6万円近くするあたまの検査を受けた結果、発達障害と診断された。言われた瞬間、即座に「Aあかるい未来Sそんなもの見えないDどうにもならない」とあいうえお作文をし出す脳みそ。診断書を書いてもらうためにいくつか生活状況の質問をされるが、動揺していたのか受け答えの内容を覚えていない。嘘をついてしまったかもしれない。診断されれば胸落ちするかと思えばそうではなかった。全然、そんなことなかった。わたしの人生は「そんなことなかった」の連続だ。動揺したままクリニックと薬局をクリアしたあと、星乃珈琲店に入る。お金がないというのに。コーヒーとプリンを頼む。お金がないというのに。お友だちに「ねえ、発達障害だったよ」みたいなラインを送ったら「絵本のタイトルみたい」と返ってきた。今後、わたしは星乃珈琲店でプリンを食べるたびに「ほーら、ASD記念日のプリンだね!」と思うのか、と思った。その後何通かお友だちとやりとりをする。「診断書代を稼ぐために働かなくちゃいけない」みたいなことを送ったら「まあ無理せずに」と返ってきた。まあ無理せずに。まあ無理せずに。まあ無理せずに。9月、なんだか調子が良かった。気がした。発達障害の診断がつけば前向きになりマイペースに働きはじめられる。無理せずに。そんな気がしていた。そんなことはなかった。より深い沼にズブズブと心が沈んでゆく。感じがする。
・両親
結果を父と母に伝えるために、心理士の方からもらった報告書の束を抱えて実家へ行く。父に束を渡すとわたしのごまつぶみたいな右目とごまつぶみたいな左目から涙が溢れてきた。父は報告書をパラパラと読みながら「こんなの、父も当てはまるけどなあ」「イーロンマスクも、ニトリの社長も発達障害だってね」などと言われて、父に悪意がないのもわかっているし、おそらく父も発達障害だとは思うのだけど(父の机の周りは永久にぐちゃぐちゃだし紙とか捨てられない)目頭がずんと熱くなる。わたしはただのポンコツで、偉業を成し遂げることはない。母が「父は困ってないでしょ、みのりちゃんは困ってるんだから」と言ってくれて、またボロボロと泣いた。父と母からも「無理せずに」と言われ、湿気で蒸したアパートに帰ってきた。暗がりで報告書を読む。「こういう特性があるので周りにこういうふうな配慮を求めましょう」と書いてあって、配慮を求められるならこんなことにはなっていないのでは?配慮してくれるひとは数えるほどなのでは?配慮してくれるひとは面倒だと思っているのでは?という不安が爆発しまたボロボロ泣いて、瞼をパンパンに腫らした。エアコンをつける動作すら煩わしい。満員の電車や映画館やライブハウスで、隣のひとの服の端がわたしのどこかに触れることすら耐えられない人間が、生きやすい社会になんてなるわけない。死ぬまでこうってことか、と思うと、なんかもうダメだった。
・ほかにもちょっとずつかなしいことがあった
ちょっとずつかなしいことも積み上がっていて、なんか話をきいてほしい気がして、でもきいてほしいだけで、どうなりたいとかどうなれるとかわからなくて、お友だちに連絡したけど、なんかどんどんじぶんがきもちわるくなって、過去に「こっちはぬいぐるみじゃないよ〜」というような指摘をされたこともあって、確かにぬいぐるみにしてしまったのは事実で、またぬいぐるみにしてしまうのもこわい、それで、「こういうあたまなんだから仕方ないじゃん」みたいな逆ギレをしてしまうかもしれないのもこわい。すべてがこわい。今後のあらゆる場面で感情のコントロールができなくなったときに「こちとらあたまおかしいんだからさあ!」みたいな暴力を振るってしまうかもしれない。
・夢
もう一度あたまの検査を受けて、でこぼこしていた線がなだらかな線になって、心理士の方に「治ってますね!」と言われる夢をみた。また泣いた。わたしはずっとふつうのひとになりたかった。ふつうに働いて、ふつうに音楽を作り、ふつうに写真を撮り、ふつうにたのしい文章を書き、ふつうに適切な人間関係を築き、もしかしたらふつうにだれかに恋をしたり、休日はふつうに映画を観に行ったり、ふつうにお友だちのイベントやライブに行ってふつうにたのしんで、ふつうに夜1時くらいに寝て、ふつうに朝7時くらいに起きる。ふつう。ふつう。ふつう。ふつう。ふつうがよかった。ふつうがよかったです。冷蔵庫の中で死にかけていたたまねぎを雑なみじん切りにして冷凍庫にぶち込んでおく延命処置をする。またちょうどよく元気なくなれたらカレーでも作れたらいいね。霜のついたひき肉。霜のついたにんじんのみじん切り。母が池袋の大北海道展で買って届けてくれたルタオのチーズケーキとアップルパイ。元気だったときに作ったぎょうざ。焼いて、食べる気力がない。飲み屋でもらったライターでたばこに火をつけて横毛を焦がす。
・言葉なんて
体調きかれたくない。だいたいずっと具合悪い。仕事きかれたくない。もうずっと無職。お金どうしてるのか聞かれたくない。お金なんてとっくのとうにもうない。口座にいくら残ってるかとかわからない。どうにもならない。曲きいてくれ、CDとかZINEとか買ってくれって思う。でも売れない。心血注いでお金をかき集めて作ったものが売れない、売れないから次のものが作れない、とクリエイティブかつ二足三足の草鞋を履いて活動されているひとに相談したら、「みんな働いて次のもの作ってるんだよ」「それで儲けようと思ってないんだよ」と言われて、目から鱗が落ちた。そうか、大半の、ふつうの地下アーティストはそうなのか。なるほど、なるほど、なるほど、と考えつづけて、眠剤飲んでも眠れなくて、ポリポリ食べちゃって、次の通院日までたりなくなるからまた予約を早める。規則正しい生活して、日光浴びて、運動したら寝られるようになるんだって。でもみんながみんな規則正しい生活をして、日光を浴びて、運動できるわけじゃないよね。規則正しい生活なんて一生できないし、日光なんて浴びたくないし、運動なんて絶対やだ。あー、いっそ働きたい。ちゃんとしたい。でももう死んでもいいな、死にたいな、働くくらいなら死んだほうがいいかもしれない、強くて太いロープでも買っとくか、いいや、そんなくだらないものを買うお金でMTR買いたいな。いつか自分の手で死んだとして、他人から無責任にかなしまれたくない。お前がかなしむために死んだんじゃない。もっとできたことがあったんじゃないかなんて思われたくない。わたしがわたしを救うことすらできないのに、あなたにはわたしを救うことなどできない。これは、この、わたしだけの問題だから。でも、わたしだけは、ずっとわたしのことを救済したかった。
・でもさ気づいたんだ
「元気?」「体調どう?」っていうのは向こうにとってただの挨拶みたいなもので、わたしが元気かどうか、昨日ちゃんと寝たかどうか、死にたいかどうか、鬱かどうか、発達障害かどうかなんてどうでもいいってこと。だから、「元気です」って答えておけばとりあえずオッケーってこと。ニコニコヘラヘラしていれば大丈夫。でも、「嫌だな」とか「かなしいな」って思ったときもニコニコヘラヘラしていたらなんかおかしくなっちゃったんだよ。どうしたらいいんだろう。
・2023年の残りカス
さて、希死念慮特盛であろうと死んでいる場合ではない。決まっている予定がいくつかポチポチあるのでがんばってやる。アー写の発注もした、ぐだぐだになってしまって申し訳ない。生活していると常に申し訳なさがある。アステロイドシティも街の上でリバイバルもこちらあみ子リバイバルも観に行きたいし、コスモスナパタルケのライブも行きたいし、CCDSのライブも行きたい。11月の喃語とランチブレイクとchikyunokikiのスリーマンも行きたい。江沼さんの追加公演12月4日も行きたい(なんと12月4日はわたしの誕生日なんだ、すごいや!)。行けるかどうかは別として、とりあえず死なない。1日1日、「とりあえず死なない」を繰り返すしかない。働きたい。お金がほしい。どこでなら働けるんだろう。お金がほしい。働く前段階の、求人を探すとか、応募の連絡をするとか、履歴書を用意するとか、考えただけで胸がくるしい。
・いろいろ書いたけどさ
ちゃんと元気だから大丈夫です。きょうはお風呂も入れたし、歯磨きもできたし、ゴミも捨てられたし、洗濯もできた。わたしは全然鬱じゃない。大丈夫。読んでくれてありがとう。
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