消えたくなっていいよ

2022/10/30

日記

3軒目のお店でしっぽり飲んでいたら団体のお客様がこられてパニックになりかけたので泣き出す前に退店した。もう外は明るくなりかけていて、すごく寒くて、帰りにおでんが食べられる立ち飲み屋さんがあったので、だし割りを一杯だけ飲ませていただいて帰ろうとしたら、少し前に別れた恋人のお友だちが引き連れられたグループがお帰りになられるところだった。「わあ、お久しぶりです」「え、え、お久しぶりです、ぼく今酔ってないんですけど」「いや酔ってますよね、足元ふらふらですよ」「ぼくなんにも聞いてないんですけど」「はい」「別れたって聞きました」「はい、解散しました」「ちょっとまた飲みましょう」「ぜひぜひ、彼なしでもお友だちになってください」「じゃあぼくもう行きますね」と千鳥足の彼はたくさんの女の子たちに連れられてお店を出られた。店内にはサラリーマンらしきスーツを着られた男性がいらして、軽くお話した感じわたしと同い年でバリバリサラリーマンをやられているらしかった。当然仕事の話になるのでヘラヘラと「いま無職でーす」「明日死んでもいいと思ってお金をかき集めてお酒飲んでまーす」と言ったら「そういうことは言わないほうがいいよ」と言われた。「そうですよねーすみませーん」とヘラヘラ謝った。マスターがおでんがまだ少し残っていると教えてくれたので大根とこんにゃくとたまごを食べる。本日、本日というか昨日から一食めだ。あったかい。おいしい。だし割りおいしい。「どこで働いていたの?」「なんでやめちゃったの?」「何年くらい働いたの?」と次から次へと質問が飛んできて、ヘラヘラとお返事をする。「明日は?何するの?」と聞かれた。今日はめずらしく曲作りが進んだのでそれをまたコネコネするし、シールを作りたいからサンプルも取り寄せたし、シールのデザインもしたいし、カセットテープを作るのにはどのくらいの予算が必要なのか調べたいし、CDを作る準備もしたいし、ZINEを作る準備もしたいし、でももうこの方とは価値観が違いすぎて、その方が望んでいるであろう「無職の精神疾患者像」を演じて「なんにもすることないでーす」「帰って寝て起きたら酒飲んで死にたくなりまーす」と答えた。「だめだよ、ちゃんと楽しく生きなくちゃ」

「だめだよ、ちゃんと楽しく生きなくちゃ」。

ああ、それは、呪いなんですよ。わたしにとって、呪いの言葉なんですよ。

楽しいことがあったあと、わたしがどれだけ死にたくなるか、消えたくなるか、あなたたちには関係ないけれど、楽しいあとは絶対にかなしい。その落差にいつも耐えられない。どんどん耐えられなくなる。だからずっと死にたいままでいたい。

でももうそんなことを言っても意味ないし、ご迷惑をかけるだけなので、「死なないでーす楽しく生きまーすごちそうさまでしたー!おいしかったでーす!ではまたまたー!」とヘラヘラお会計をして帰路に着いた。お店を出て、早稲田通りに出た瞬間、ボロボロ泣いた。正しいひとの正しい言葉はいつもくるしい。そんなことはわかっている、わかっているけれどできない。できないじぶんを許せない。許したい。でも許したらいけない。正しいひとにとって、わたしは正しくない存在。そんなのわたしがいちばんわかっている。でもわかっていないことにしないといけない。つかれる。すごくつかれた。

家の近くのセブンまで来て、喫煙室があるので煙草を1本吸って落ち着いてから帰ろうと思ったら、喫煙室には男女2人の先客がいらして、今日飲まれてきたらしいお店のお料理やお酒の文句で盛り上がっていた。ひとのしゃべっている声が、他人の会話がこわくて、煙草を2/3くらい吸ったところで喫煙室を出た。利用料として煙草を2箱買う。家にストックは山ほどあるけれど、どうせ吸うから問題ない。問題ないよ。

早朝のランニングをしているひとも、後ろからほぼゼロ距離で追い抜いていく自転車も、信号や街灯の光もなにもかもがだめになって、とうとう家の前の最後の坂を登るところでパニックになった。エチゾラムを噛むけれど体の震えと視界の揺れと動悸がおさまらなくてしゃがみこむ。手持ちの薬を5錠か10錠か飲んで歩けるようになったので早歩きで家まで辿り着いた。あんなところでぶっ倒れたらまずい。よかった。と思ったら玄関で意識を失っていた。目が覚めたら靴を履いたまま、服もお化粧もそのままで夕方になっていた。

他人に対して「わたしなら絶対に発しない言葉なのに」と思うことが無駄なのも、もうわかっている。わたしが向いていない。いろんなことに向いていない。正しいひとの考える「できること」や「やるべきこと」がわたしはなにもできない。

公園のベンチの脇に捨てられたゴミのフィルム写真。