#5 友だち100人できますよ(山本礼華/女優・シンガーソングライター)

2024/02/03

写真企画 さみしくない点

写真企画 さみしくない点

「さみしくない点」は、インターネットの深海に溺れながらひとりで音楽を作るわたしが、あなたに会って写真を撮る企画です。

https://m-k-r-d-t-s-b.blogspot.com/2021/12/blog-post.html

撮影後記と大謝罪

今回お会いしたのは、山本礼華(やまもと・あやか)さん。女優であり、シンガーソングライターでもある。あだ名は”おじょー”。わたしも彼女を”おじょー”と呼ぶ。彼女はわたしを”錆ちゃん”と呼ぶ。あだ名で呼び合うなんて何年振りだろう。久しぶりに呼び起こされたような、ずっと使われずに切れていきつつあった神経がムズムズと繋がった感覚がある。


そこで、この撮影後記である。こんな地点で「撮影後記」が入る媒体をわたしはみたことがない。この後につづく、おじょーと過ごした半日をフィルム2本半分くらい撮影をした。途中、フィルムを詰め替えたときになんとなく違和感を覚えたのだが、まごまごして確認を怠り、時間を取られるのが惜しく、「日が暮れてしまう!」という焦りもあり、その違和感を拭わないまま撮り進めた。現像に出したところ、カメラ屋さんから送り返していただく際に「残念ながら未露光(撮れてないってこと)のフィルムが1本ありました、長巻きでお返ししますのでご了承ください」というメールをいただいた。あたまが真っ白になった。あの1本か。あの1本しか思い当たる節がない。しかし大事な1本だ。超大事な1本、36枚だ。


届いたレターパックを恐る恐る開封し、インデックスを薄めでみる。予感は的中した。あの、超大事な1本だった。焦るあまり確認を怠ったあの日、あの瞬間の己を、おじょーと解散する前に「ちゃんと撮れてなかったらもう1回お願いします!」などとヘラヘラ抜かした己を、ボコボコにしたい。


おじょーに事の経緯を説明し、大謝罪のラインを送る。おじょーは「錆ちゃんとたのしく過ごせたので撮れていた分から選んでいただくので大丈夫です!」という趣旨のお返事をくださり、ほんとうに申し訳ない……精進します。わたしに必要なのは、ありとあらゆる場所で保つことのできる平常心。ところで、平常心ってどこで売っているんですか?


おじょーとの出会い


彼女とつながれたのは、前回のさみしくない点#4もえたさん回をおじょーが読んでくださり、おじょーともえたさんは以前からご面識があったそうで、「わたしも撮ってください!」とDMをくださったのが最初だった。


ご自身の自己紹介の一環で「平成生まれのレトロシンガー」・「報われない女の唄をうたっています」というキャッチフレーズを使われていて、ふむふむ、なるほどなるほど、”歌”ではなく”唄”を選ぶところに確たる芯を感じるな……と思いながら、お返事をする前に、ネトスト検定1級のわたしは、インスタグラムを始め、あらゆるプラットフォームで”山本礼華”を検索しまくった。そして「確かに平成生まれのレトロシンガー」だし、「報われない女の唄をうたっているな…」というところに落ち着いた。特に『タバコ』という曲がすきだと思った。


役者であることも関係しているのか、何度か他の写真家の方やカメラマンの方に撮られたこともあるようだった。「え、じゃあ、なぜわたしに????」という無限に浮かぶ「????」は止められなかったが、お会いしてお話してみたいというきもちが強くなったので、企画の趣旨やスタンス、わたしの思想や哲学(※一般的には政治的や活動家と思われる発信や発言をしていること、場合によってはFワードも使用していること、主にイスラエルによるパレスチナの虐殺に声をあげていること、それによってあらゆる問題の解像度が爆上がりし、あらゆる問題に声をあげていること)(もちろんこんな解像度の爆上がりはしたくなかった、世界、地獄かよ)をご説明しつつ、「問題がなければぜひ撮らせてください」と、お返事をした。すぐにご承諾いただけた。


その後、おじょーが『47TOUR』という全国47都道府県を1年かけて回るライブツアーのプロジェクトが立ち上がり、インスタグラムで「簡単な動画の編集(歌詞入れ程度)をしてくれる方探しています!」というお知らせを目にした。わたしの大好物だ。即「できます、やりたいです!」と連絡をした。すぐに動画が共有され、何本か簡単に編集させていただいた。個人的に、インスタグラムで動画を開かないと聞けない曲やYouTubeにしか上がっていない曲だと、「すきだな!」と思ってもリピートして聞きにくいという点でなかなか聞きづらいところがあり(みんなどんどんサブスクに配信してくれ〜!サンクラとかバンドキャンプにも上げてくれ〜!と思っている)、今回の動画編集をさせていただくことで合法的・かつわたしのハード面でも楽におじょーの曲を編集しながら鬼リピートすることができたのでうれしい。


わたしのDMやメール等の文章でのコミュニケーションは、言葉数が多すぎて読むのが大変だと思うのだが、それもすべてクリアして細やかにやりとりしてくださったのと、わたしがした簡単な編集に対して「天才?!」というような感想をくださり、家でひとり歓喜の舞を踊った。


↑わたしを「天才」と言ってくれたひと

撮影当日

そして迎えた撮影当日。これまでに何度もメッセージのやりとりはしていたので、初めて会う感じがしないとは思いつつも、やはり「実際に顔と顔を合わせて会う」という三次元の行為はわたしにとってかなり特別な行為だ。


撮影場所はあちこち考えたが、安易なわたしは「レトロシンガー」という言葉に引っ張られ、下町……谷根千あたりも良さそうだけど、ベタに浅草がいいんじゃないかな……と提案(近くに隅田公園もある!公園だいすき)し、即ご了承をいただいた。集合時間よりだいぶ早めに着きそうだな……軽くロケハンでもしておくか……と思っていたら、おじょーから「夜行バスが遅れていて、待ち合わせ1時間押しでも大丈夫でしょうか?」と連絡が入った。え、夜行バスで来るの?!どうやら前日に地元に帰られていたらしく、そのまま弊企画に直行してくださるようだった。すごいエネルギーだ。OKOK!わたしは会いたいひとを待つ時間もあいしている。というわけで、1時間ほど浅草駅周辺をFree Palestineのプラカードを掲げて歩いたり、スタンディングをしたりしていた。


わたしはこの日、初めて浅草に降りたった。わたしが普段行く、ごく狭い範囲の世界とはまた違う世界にいるようだった。景色も匂いも音も。その街ごとの特色みたいなものが、この狭い東京の中に肩寄せ合ってひしめき合っているのを肌で感じた。


おじょーから「着きました!」と連絡をいただく。喜ぶのも束の間、わたしは方向音痴の説明下手なので、今自分がどこにいるのかを説明できない。あそこに見える東京メトロの出入り口が何番出口なのかもわからない。「神谷バー」というお店の近くにいて……あっ、ここにいます!と自撮りをしてその写真を送る。おじょーからは「見つけます!笑」というやさしいお返事が来た。見つけてもらってばかりだな。


数分後、おじょーはわたしを見つけてくださり、神谷バーの前で、とうとうインターネットを介さずに三次元で会うことができた。お互い「(遅刻したことを)ごめんなさい!」「(迷子になって)ごめんなさい!」と謝り合い、おなか空いてます?あ、空いてます?じゃあ、神谷バー、なんかおいしそうだしお値段も良心的だし、入ってみません?という会話を経て、神谷バーの2階レストランへ入った。ちょうどお昼どきだったこともあって、待たれているグループの方が何組かいらした。おじょーが率先してお店の方に「2人入れます?少し待ちます?大丈夫です、山本で2人です」と言ってくださる。わたしの声は通らないので、にぎやかなお店でお店の方とコミュニケーションを取ることが苦手だ。マジ感謝。


「山本様」が呼ばれるのを待ちながら、店外に並ぶ食品サンプルを眺め、なにを食べるか各々悩んでいたら「電気ブラン」があるのを見つけた。


「わ!電気ブランがある!」
「ほんとだ!」
「電気ブランって飲んだことあります?」
「1回だけあります」
「わたし飲んだことなくて。どんな感じですか?ウイスキーみたいな感じ?」
「うーん、そうですね、ウイスキーっぽい感じかも」
「なんかの小説に『電気ブラン』が出てきて、うわ、その小説すきなのにタイトルも作者もド忘れした、出てこない(※森見登美彦著『夜は短し、歩けよ乙女』でした)、うー、とにかく、それで、ずっと電気ブラン飲んでみたかったんですよね」


怒涛の早口オタクになってしまったわたしに、おじょーはあっさりと「1杯くらい飲んじゃいます?」と言った。今はお昼の12時である。このひと、お昼から飲むひとだ。酒飲みだ。確信した。わたしも酒飲みだ。のっかることにした。


「1杯くらい飲んだほうが会話も弾むでしょうしね」
「1杯くらいね」


とボソボソ言い訳をし合っているうちに、「山本様〜!2名でお待ちの山本様〜!」と呼ばれ、店内に入店した。


おじょーはビアランチと呼ばれる、ビール付きのランチセット、わたしは電気ブランサワー(※確か)とエビフライとハンバーグのプレートみたいなのを頼んだ。


「電気ブランどうですか?」
「なんか、薬っぽい、子どものころ、風邪のときに飲んだシロップみたいな味がします」
「あの、茶色いやつ!」
「そうそう!茶色い、濃い紫色みたいな……でもおいしいです!サワーだからか飲みやすい!」


こうして1杯ずつお酒を飲み(本当に1杯ずつしか飲まなかった)、わたしはおじょーにいくつかの質問を投げかけ、答えていただき、わたしなりに咀嚼し、ときに「この解釈で合っているか?」と確認しながら、2時間程度お話を聞いた。


また道を探させているわたし

(しかもチラッと見えた画面でおじょーのスマホの充電切れそうだったのに)


小学生のときから作文に「女優になりたい」と書いていた

おじょーこと、山本礼華さん。名は体を表すというか、礼華さん、というお名前がしっくりくる。兵庫県出身。大学卒業後少しまでの長い期間を地元の兵庫で過ごされていた。彼女の肩書きは「女優・シンガーソングライター」。わたしも、「音楽家・写真家・文筆家」と名乗っているが、わたしの場合は、まずは、「写真もやっていて、文章も書いている音楽家」くらいに認識してもらえればいいかなという安易な理由でこの順で名乗っている。彼女は先に役者になったのか、シンガーソングライターになったのか。そのあたりのお話からゆっくり伺った。


「小学生のころは、習い事をたくさんしてて。音楽もすきだし、ダンスもすきだし。子どもミュージカルみたいなものもやってました。それで、『女優になれば全部できる!』と思って」
「じゃあ、女優になる!っていう気持ちのほうが先だったんですね」
「作文にも『女優になりたい』って書いていました」


顔ハメももちろん全力でやってくれる


中学校に進学するも、演劇部がなく、「演劇部のある高校へ進学する!」という理由で、演劇部のある高校へ入学。そして、進学後はもちろん演劇部へ入部し、演劇に関わり、お芝居がたのしい毎日を過ごす。高校卒業後の進路について、演劇部顧問の先生からは「東京へ行ったら?」と勧められたが、いろいろな可能性を考えて、地元の大学へ。同時に、学外での演劇活動にも力を入れられ、19歳のときには旧Twitter現Xから応募したオーディションを受けて合格し、小劇場の舞台に立つ。翌年20歳には、高校のころの同期と2人で”かしこしばい”という劇団を立ち上げた。


「その相方の作品を『世に出したい』っていう気持ちがすごくありました。役者は作品があれば、あちこちの作品に出て、世に出ていくことはできるけれど、作家はその作品自体が世に出ないといけないから。とにかく相方の作品を世に出したかったんです」
「うわー、めっちゃ愛ですね」
「その相方が作るもの、書くもののファンだったんですよね。今はその方は別の劇団で活動してるんですけど」


自分の作品をあいしてくれている、信頼してくれているひととものを作るというのは最高だ。当時の相方だった方も相当おじょーから力をもらえていたのじゃないだろうか、もらえていてほしい。そう思った。

寄席の前を通り、「寄席って行ったことあります?」「ないんですよね、行きたいです」「今度一緒に行きましょう!」という会話をした(絶対に行きたい)


経済系の学科入学・演劇学科卒

おじょーの通われていた大学は、少し特殊なシステムで、どの学科の授業・単位を取ったかで卒業する学科が入学時から変わる、という特色があったそう。おじょーは演劇学科の授業を一番多く取っていたとのこと。大学に通って、演劇学科の授業を多く取りながら、学外での演劇活動にも力を入れられ、そこで演劇関係の人間と少しずつ繋がってゆく……と、かなり活発、わたしからしたらかなり活発な学生時代を送られていた。


「演劇学科は卒論を書かなくてよくて」
「ほうほう」
「その代わりに卒業公演をやって、それが単位になって、っていうシステムで。わたしは入学したのは経済系の学科なんですけど、演劇学科卒です」
「なるほど!おもしろい大学!」


実際に入学してみて興味のあるものが変わることはあると思うし、すきな先生の授業をとにかく取りたいと思うし(わたしはそうだった)、「授業に出たい!」「講義を聞きたい!」と思える授業をすきなだけ取って、最終的にその学科卒業としてくれる、というのはなかなか魅力的なシステムだと思った。しかも、演劇学科があったのは、おじょーにとってすごくプラスだったのだろうと思った。



おみくじ引いた、おじょーは末吉、わたしは凶だった

平成生まれのレトロシンガーソングライター、爆誕

「舞台公演作るのって3ヶ月くらいかかるんですよね」
「ふむふむ(予想より長い!)」
「それで、やっぱり演劇を観てもらうのってハードルが高い」
「うん、わたしもちょっとハードル高いです!演劇とかお芝居はちょっと躊躇してしまう、というか……」
「そうですよね。それで、劇団の旗揚げ公演で、主題歌を作ったんです。音楽は演劇よりも手に取ってもらいやすいと思ったから。キャッチーだし」
「なるほど!その主題歌は、今と同じギター弾き語りのスタイルで作られたんですか?」
「そうです、それで、慣れるというか、場数を踏むためにライブをして、でもそのときは『女優の山本礼華です』ってこだわって名乗って弾き語りをしていました」



地元での活動期間を経て、当時すでに東京に住んでいた演劇仲間のMさんという方がいて、Mさんはゲストハウス付きの劇場で働き、そのゲストハウスの管理人さんのようなお仕事もされるため、Mさんのアパートが空くことになった。


「退去費用とか大変だし、わたしが上京したいと思っているのを知っていたので、『住まない?』って言われて、上京してきました」
「えええ、すご!」


このパターンの上京エピソードは初めて聞いたかもしれない。いろいろな点と点が結ばれて、おじょーはいま、かつてMさんが住んでいたアパートに住んでいる。家具や家電もそのまま残してMさんは出て行かれたため、初期費用を相当抑えられたという奇跡。すごい。


東京に来たばかりのころは、人間関係を広げてゆくために、ビジネス系の交流会に参加していたそう。これもわたしにはない発想だ。彼女は、わたしとは違う方向に向いた、主に外に向いているような感じのする、”行動力”の塊のひとだ。


「『君は何をしているひとなの?』『何ができるひとなの?』ってすごい聞かれるんですよ。最初は『女優』って答えてたんですけど、どういう女優か具体的に説明するのが難しくて」
「ふむふむ」
「それで、『シンガーソングライターのほうがわかりやすい!』と思って、『シンガーソングライター』って答えるようになって。そうすると、次は『どんな曲歌うの?』って聞かれるんですよね」
「あーあーあー、そうですよね、難しいなあ」


わたしはいまだに自分の音楽の説明ができない。”DTM”という言葉を知らないひとも多いし、DTMというと初音ミクとかを思い浮かべるひとも多いので、あまり使わないようにしていて、「iPadとパソコンで作っている」と言うようにしている。アンビエントっぽい感じだけど一応一定のテンポに基づいて構成はされている・アンビエントを目指してはいるけれど歌も歌いたいから多少ポップな要素もあると思われる・インディーポップ、ドリームポップっぽい感じ、でもギター弾いてない、等々、雲を掴むような説明しかできない。


「最初は『椎名林檎と中島みゆきを足して2で割った感じ』って説明してたんですけど、やっぱり、それで伝わるひとと伝わらないひとがいて」
「確かに、椎名林檎と中島みゆきを知っているひとであれば、ピンとくるかもしれないですね。正直、わたしは椎名林檎も中島みゆきも熱心なリスナーではないので、そう言われちゃうと『ほお〜』ってしか返せないかもしれないです」
「ですよね!それで『平成生まれのレトロシンガー』『報われない女の唄をうたっています』っていうわかりやすいキャッチフレーズをつけたんです」
「なるほど!すごい!」


その交流会の一環で、「とにかく特化させろ」「尖らせろ」「尖っていれば尖っているほどいい」と言われたらしい。尖ったわかりやすいキャッチーなフックがあれば、「どういうひとなんだろう?」と興味を抱かせることができる。そこから会話や関係が広がってゆく、ということのようだ。確かにその通りだ。そして、それをひとつひとつ咀嚼し、実践・実行できているおじょーは、すごい。


「わたしは歌謡曲ってあんまり聞いたことがないんですけど、おじょーのシンガーソングライターとしてのルーツみたいなのは、やっぱり昭和歌謡ですかね」
「そうですね、おばあちゃん子だったこともあって、歌謡曲というジャンル自体に馴染みがあって。中島みゆきはすごくすきでよくカバーしていました。今も中島みゆきはカバーするし、美空ひばりが多いですかね」
「なるほどなるほど」


”中島みゆき””美空ひばり”とぽちぽちぽちぽちパソコンにメモを取るわたしを前に、おじょーは「もうひとつの理由としては、自分のライブに来てくれるお客さんの客層に合っているんですよね」と言った。


”客層に合っている”!わたしには全くない視点だった。


「シンガーソングライターのライブに来られるお客さんって、40代から60代くらいの男性が多くて」
「うんうん、そういう方は多い印象ですね」
「なので、わたしみたいに20代で歌謡曲がすきっていうシンガソングライターは珍しいほうだと思っていますし、こういうふうに押し出しているひとってなかなかいないので目立ちやすくて」
「確かに、わたしも初めて出会いました!」


もし、おじょーの他に平成生まれのレトロシンガーがいらっしゃるのなら、ぜひお会いしたいと思った。


「中島みゆきのカバーを歌ったら、お客さんとの会話につながったことがあって。『おれもすきなんだよ!』って声をかけてくれたり」
「じゃあ、いまは、ご自身のすきなジャンルの曲をやれて、それがお客さんにも合っていて、最高な状態になっているってことですね!」
「はい!最高です!」





好みかどうかは別として覚えられたら勝ち

「ブッキングライブとか、企画ライブとか、数組でやるライブって、終わったあと最初のほうの方を覚えてないってことあるじゃないですか」
「うんうん、正直めっちゃあります。しかも、弾き語りライブだとなおさら。印象が残ったひと1人か2人、あとは覚えてないとかめちゃくちゃありますね」
「そうですよね!なので、わたしはライブ中に『報われない女の唄をうたっています』って最低3回は言うようにしてるんですよ」


『報われない女の唄をうたっています』を3回言う!!!!

3回言うんですって!!!!(これを読んでくれていて、おじょー、もとい山本礼華さんのライブに行かれたことがない方へ)


確信に変わった。おじょーは、わたしにはない視座で世界を見ているのだ。


「好みかどうかは別として覚えられたら勝ちだと思ってるので」
「な、る、ほ、ど!!!!」


わたしはミュージシャンでもあるけれど、きちんとした形でライブをしたことはない。やりたいとはうっすらずっと思ってはいるので、ほんとうにライブが実現できたらMCの際はおじょーのスタンスを真似することにした。比喩やメタファーや詩的な表現に惹かれてしまうので、がっつり尖ったわかりやすいキャッチーフレーズは思い浮かばないけれど、「名前だけでも覚えて帰ってください」以上の言葉を考えておこう(MCタイムを設けるかどうかもわからないし、そもそもライブができるかどうかもわからないけど)。


役者編

シンガーソングライター・山本礼華さんの触りというか、初級編というか、入門みたいな部分には触れられた気がするので、役者編についてもう少し伺うことにした。「役者として憧れているひとというか、『こういうひとになりたい!』みたいな方っています?」と尋ねると、おじょーは短い間「うーん」と考え、「安藤サクラさんですね」と答えた。


「安藤サクラさん!素敵ですよね、わたしもすきです」
「安藤サクラさんってすごく自然体じゃないですか」


200パーセント同意である。


「安藤サクラさんが出られている作品でおじょーが特にすきな作品ってありますか?」
「えー、なんだろう……『万引き家族』もすごく良かったし、『百円の恋』もすごくすきです」


300パーセント同意である。


わたしのカメラはおじょーじゃなくて背景にピントを合わせたんだね


『万引き家族』で、安藤サクラさん演じる信代が警察に捕まったシーンで、ポロポロ涙を流し、その涙を手で雑に拭うというシーンがあるのだが、涙を拭うたびに表情や感情が揺れているのが伝わってきて、ほんとうにすごい役者だと思った。


という話をおじょーにしたら、彼女は「人間っぽさみたいなものを、カメラを通しても伝えられる力があるのはすごいことだと思っています」と答えてくれた。


「シンガーソングライターとしての活動は、まず47TOURっていう大きいライブ活動をされている最中ですけど、役者としての活動は何かご予定ありますか?」

「ちょうど昨日、地元の劇団員と会ったところなんですよね。年に1回くらいは地元の劇団を動かしたいと思っていて」

「おお、良いですね!」

「ただ、わたし以外の劇団員は社会人だったり、ちょうど新卒で働き始めたひとだったりで、私生活が忙しい状況で」


労働は尊い。しかしそれによって文化活動が阻まれてしまうのはかなしい。無責任にかなしくなってしまった。


「なので、外部の劇団に外注してやることとかも考えてます」

「外注……?……あ!わかりました!たまに劇団やお芝居のお知らせのポストを目にすることがあるんですけど、違う劇団のひとが、”(なんとか劇団)”みたく書かれているのって」

「そうですそうです!チケットが捌きやすかったりするんですよね」

「お互いのファンが来てくれて、お互いのファンになってくれたら結果Win-Winですもんね」


たまに劇団やお芝居のお知らせのポストを目にして、なぜ他の劇団のひとの名前が載っているのかずっとわからなかったが、一気に謎が解けた。さらに、おじょーは「ブッキングライブ(複数のバンド・シンガーソングライターなどを呼んで1組20分とか30分とかで行われるライブ)みたいな感じです」と単純明快に説明してくださり、あっさり胸落ちした。



「アッ!公衆電話ある!公衆電話ショットいいですか!」と令和のエモハイエナみたいなことをしてしまったけど明らかに近寄すぎてピンボケして揺らぐ彼女の存在、ガラス越しに写る彼女の存在が儚くていとおしい1枚


浅草寺でのお参りを経て 

浅草寺でのお参りを経て、フィルムの取り替えに失敗したことに気づかないままのわたしと、夜行バスから直行されたエネルギッシュなおじょーは、少し人混みから離れた場所を歩いていた。

「売れるやり方についていろいろ考えていて。たとえば、テレビに1回出るだけなら簡単にできると思うんですよ」

「そうですね、1回出るだけなら簡単ですよね」

「もちろん、簡単とは言いつつ難しいことですけど」

「うんうん」

「でもなんらかのコネクションとか人脈とかを作って、っていうわかりやすいルートがあると思うんです。でも、わたしはそれをやりたくない。今のやり方で、各地方で100人呼べるアーティストになりたい。『友だち100人できるかな?』ですよ」


今のやり方で、各地方で100人呼べるアーティストになりたい。彼女の言葉があたまの中で何度もこだました。


おじょーはおだやかに話す。とてもおだやかに。そして、確固たる芯のあるひとだ。ライブや歌声から想像していたのは「イエーイ!よろしくで〜す!」的なひとなのかな?という下劣な先入観があったことを反省した。


わたしは「今のやり方で、各地方で100人呼べるアーティストになりたい」という力強い言葉に圧倒されて、咀嚼するのに時間がかかり、咄嗟に言えなかった言葉を伝えたい。


友だち100人できますよ。




写真企画 さみしくない点
#5 友だち100人できますよ

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会ったひと:山本礼華(女優・シンガーソングライター)
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写真・文:MKRDTSB / ヨシオカミノリ


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