抵抗と灯火 vol.1 "Free Palestine" 、あらゆる方に感謝。マジ感謝。出てくれたネコダ珈琲さん、山口さん、原口さん。スケジュールの都合で今回はご出演叶わなかったけれど、ラインOC開設してくれたり、お知らせしてくれたかふつさん。当日細々とした、そして煩雑なお手伝いをしてくれた村田さん、カワウソ座さん。「政治的」「思想的」と断られるんじゃないかとビクビクして、ライブハウスに連絡が取れずにいたら、山口さんがJETROBOTとつないでくださり、2/18をわたしたちに与えてくれた高田馬場JETROBOT。来てくれたお客さん、オープンマイクでスピーチ・トーク・パフォーマンスをしてくれたお客さん、見守ってくれたお客さん、来られなかったけど応援してくれた/応援してくれているみなさん。
マジで感謝している。ありがとうございます。ありがとう。
たぶん6年くらい前から(数字苦手すぎて数えられない、もっと早いかもしれないし遅いかもしれない)、MKRDTSBとして音楽をインターネットの深海に放り投げるようになって、あんまりライブしたいとか思わなくて、なんかどうやってやったらいいのかとかもわからないし、MKRDTSBはインターネットにだけ存在しま〜す✌️と思ってた。ライブやるってなるとたくさんのひとと関わらなきゃいけないのがめちゃくちゃハードル高いし、あと、実は一回だけすんごいちっちゃいスペースでライブみたいなことはしたことあるんだけど、ぜんぜん納得いく形でできたライブじゃなくて、だからそのライブは0としてカウントすることにしました。それが1年前くらい。映像も主催側のミスで残ってないし、そのこと謝られてないし、別に残ってなくてラッキ〜!くらいに思うことにしてる。
話が飛ぶね。話が飛ぶんだ。
いつかライブして小銭稼ぎてえな〜と思ってはいたけど、ライブをするためにはわたしの前にいくつもの問題があって、なかなか動き出せずにいたの。来てくれるひとがいるのかもわかんないし、「ライブするから来て」って伝えるのも苦手だし、それに対して「行けないごめん」って断らせるのもエネルギー使わせるって思うから。
わたしは集団行動が苦手で、12月初めに「My Watermelon」って曲出してから「親パレスチナのライブやりてえ〜」「ひとりで借金してやるかあ」と思ったけど、1月中旬くらいになんとなく「親パレスチナのライブやりてえ 企画したらだれか出てくれる?来てくれる?」みたいなポストをしたらネコダ珈琲さんが秒速で「出たいです!」ってリプライくれて、翌日には山口さん・原口さんが「やりましょう!」って続いてくれて。
わたしの近しいミュージシャン界隈では、TikTokやるとかSNSのフォロー呼びかけるとか、フォロワー数が多いほうが格上とか、謎ルールいっぱいあって、そういうノリみたいのが気持ち悪くて、あんまり馴染めなくて。あと、わたしの作ってる音楽ってどこの枠にもハマれてない感がずっとあった。そして、パレスチナのことを知って、「虐殺に反対できないお前の音楽は作品はゴミ」と全方位に中指立てまくって、どんどんみんな離れていって(もともと近づいてなどいなかったのかもしれない)、どんどんハマれなくなっていった。疎外感。孤独感。焦燥感。え、虐殺に反対できないお前の音楽ってなに?なんのために歌ってるの?なんのために作ってるの?なんのためにフォロワー集めてるの?わかりたいけどわからない。
今まで、あらゆるタイミングで、いろんなひとからわたしの作る音楽についてボロクソに言われることはめちゃくちゃあって、音楽に好き嫌いあるのはわかってるけど、総じて「じゃあお前は一生J-POPのトップチャート聞いてろよ!」って思ってて、わたしはわたしが必要としている音楽を作る、ために、不本意に、あるいは意図的に閉じた世界にずっといたんだけど、よし、インターネットを飛び出すなら、今、今、今だな、って思ったんだよね。すごい思った。「わたし、ここにいます」って知ってほしくなった。
で、2/18を迎えて、2/18を終えたってわけ。
もう、記憶がないね。ほんとうに記憶がない。
わたし、鬱と発達障害のダブルパンチで、ぜんぜん定期的な労働できてなくて、だからこそ時間は無限にあって、わたしは「やりてえ〜」っつって、抵抗と灯火のメールアドレス・X・インスタグラム・タンブラーを勝手に作って、お知らせの画像とかフライヤーとか勝手に作って、英語あんまりわかんないから原口さんに添削してもらったりして、一応抵抗と灯火チームに連絡して、「作ったのでこれでいいすかね?いきますね!」みたいな感じで、合間にトングさん(札幌のランチブレイクというバンドのひと)に「パソコンからどうやって音出してます?」って聞いたり、楽器屋さんに行って「どうしたらこれできます?」って聞いたりして、なんか、線、2本買ったり、スタジオで、なんか、その線をつなぐ練習したり、歌う練習したり、合間にデモ行ったり、ひとりスタンディングしたり、アルゴリズムと闘ったり、抗議のFAXとか手紙とか送ったり、しているうちに、2/18が来て、終わった。
2/18、ご予約してくれていたけれどあらゆるご事情で来られなくなった方が何人かいらっしゃって、まずキャンセルの連絡くれてありがとうだし、わたしはODしてぶっ倒れててキャンセルの連絡入れずにライブ行かなかったことあるし、別に来られなくてもいいの。パレスチナのこと思おう、考えよう、できることできる範囲でやろう、わたしが休んでる間はあなたが声をあげて、わたしが声をあげてる間はあなたは休んでて、って思ってて、同じことを考えているひとがいるって知ることができただけでも、「わたしはもうひとりじゃない」って思えたの、だからキャンセルされたひと、なにも気にしないで!
そして、「体調不良で行けないです」って連絡くれたひとも何人かいらして、まず体調悪いのに連絡くれてありがとうだし、絶対に無理してほしくないし、生きててほしいから、やっぱりなにも気にしないで!って思いに尽きる。生きてたら体調崩すときもあるし、わたしもすぐ体調崩すし、希死念慮爆発するときもあるし、何時間もメソメソ泣くときもあるし、ライブを終えた2/18の夜中から2/20に至るまで割とずっと寝てた。気にしないで。知ってくれて、みつけてくれて、ありがとう。
だからさ、働きながらとか、お子さん育てながらとか、だれかをケアしながらとか、いろんなご事情がある中で動いてくれているひともマジリスペクト。
あと、やっぱ、実現に至るまで、絶対にわたしひとりではできなかった。間違いなくできなかった。これは断言できる。わたしは、いろんなことをフワッとした言葉で濁して逃げ道作りがちだけど、いろんなひとが、いろんな形で、わたしの苦手なこと、できないことをサポートしてくれて、助けてくれて、2/18のイベントができた。抵抗と灯火になれた。マジ感謝しかない。ありがとうございます。
そして、中期的な集団行動ができた自分にもびっくりしてる。おい、できたじゃん。やったね。しかも第2回目も視野に入ってきた。すご。停戦まだすか?
イベントの後、新宿のデモに行った。抵抗と灯火からハシゴしてくださっている方も何人かお見かけして、デモで知り合ったひとも何人か声かけてくれて、巨巨巨巨巨パワ〜もらった。
デモを終えて、名古屋から来てくれたLoudstanding Nagoyaの一員としても動かれているかわにしさん(愛煙家フレンズ🫶とわたしは勝手に思っている)と、法的に許された喫煙スペースで無限一服をしながら、お互いが思っていること、感じていること、考えていることをお話した。「みんななに考えてんの?って思っちゃう」「わたしたちは同じことを考えているって知れた」みたいなことをお話して、無限一服に終止符を打ち(ほんとうに無限一服してしまうため)、JR新宿駅東南口でお別れをした。今度はわたしが名古屋に行きます。LSNの輪に鈴振りながら入れたら最高だし、虐殺反対ミュージシャンを欲している名古屋のライブハウスに呼んでいただいて、ライブができたら最高だな。
名古屋だけじゃなくて、虐殺反対ミュージシャンを欲しているライブハウスやスペースは、地球上どこにでも行きます。ていうか、ミュージシャンとかミュージシャンじゃないとか関係なく、ポップにイケてる各地のデモやプロテストに参加したい。行けるかな?がんばるぞ。
そして、この間も、パレスチナへの攻撃は止まっていない。今も、止まっていない。わたしの近しいひとたちは、ずっと沈黙をつづけている。
わたしは沈黙しない。
虐殺やめろ、今すぐ停戦、ラファに手を出すな
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