わたしは「ほんとうにすきなひと」のことを「あのひと」と書くことが多い - "希望のかなた"リリースに寄せて

2021/06/08

日記

 先日、MKRDTSB3枚目のEP「希望のかなた」がリリースされました。おききくださった方、おききくださっている方、ありがとうございます。セルフライナーノーツを書きたいと思ったので書きます。ほんとうは誰かにインタビューされたかったけどそんなことは起きないので自分で書きます。

MKRDTSB
3rd EP 「希望のかなた」

1. 彼方
2. 視程0m
3. 春の潭
4. 音楽はもう鳴らない
※Apple MusicやiTunes Store、Spotify、ラインミュージック等でおききいただけます。
※一部ストアでアーティストページが2つに分かれてしまっておりますが、どちらもわたしです。

■「希望のかなた」にした理由
EPを作るとき、あるいは歌詞を書くときに、映画やドラマをモチーフやイメージにすることがほとんどなのだが、そろそろEP出したいな〜と思っていた去年の年末ごろ、アキ・カウリスマキ監督の「希望のかなた」をみて「よし、次のEPは『希望のかなた』にしよう!」と決めた。この時点では入れる曲等は全く決まっていなかった。

1. 彼方
さて、EPのタイトルを決めたので、曲を作らなければならない。なにかネタはあるかしら、と思いながら沼フォルダ(※まだ日の目を見ていない曲をそのままどんどんぶちこんでいるフォルダ)を漁っていたら「彼方」と「音楽はもう鳴らない」を見つけた。「音楽はもう鳴らない」は既に「音楽はもう鳴らない」という曲名がついていたけれど、「彼方」は曲名すらつけられないまま、「レディ・バード3」として沼フォルダに沈められていた。この2曲は前作のEP「レディ・バード」用にいろいろ作っていたうちの2曲で、2年くらい前には原型はできあがっていたが、「レディ・バード3」はどうしても1曲目っぽい感じがしたのと、レディ・バードの1曲目はすでに「シニフィエ」にすると決めていたのと、わたしは4曲入りのEPがすきでレディ・バードに入れる4曲はなんとなく決まっていたのとで、「レディ・バード3」はレディ・バード入りはせず。久々に「レディ・バード3」を見つけてきいたらすごく良くて「ああ、これを『彼方』という名前にして1曲目に入れよう」と即決。
2Aっぽいところの、”回想は瞬きの音さえ きこえてしまいそうなほど スローで巡る”の”瞬き”のところがどうしても噛んでしまって何度も何度も録り直した。それでも歌えなくて、もういっそ歌詞を変えようかと悩んだけれど、”瞬き”の”ば”を意識して唇に力を入れたらスルッと言えるようになって感動した。MKRDTSBにしてはめずらしく明るい、ひらけた感じがする曲。

2. 視程0m
コロナによって奪われたもの、失われたものの数を数えては、わたしごときが曲を作る意味ってなんだろうとか考えていた。でも、わたしごときが曲を作る意味なんていらなくて、意味があってもなくても、だれにも届かないとしても、曲を作るのがすきで、音楽がすきで、ずっと作ってきたから、じゃあ今の今、コロナがつらいって曲を1曲くらい作っておいてもいいんじゃないかな、何年後か、コロナが収束した世界が来たときに、コロナとコロナ政策によって振り回されたこのちっぽけな生活のことを思い出すような曲が1曲くらいならあってもいいんじゃないかな、と思って作った。
すぐそばで歌っている空気感・距離感を出したくて、これまでは声にかけまくっていたリバーブをかけないという選択をした。
歌詞を書いているとき、iPhoneで天気予報を見ていたら「視程○km」と書いてあって、そんな項目があるのをそのとき知って、ああ、今の世界って視程0mだな、少なくともわたしの世界は0mだなと思って「視程0m」というタイトルにした。

3. 春の潭
「彼方」があって、「音楽はもう鳴らない」があって、「視程0m」ができあがった。わたしのすきなplentyは3曲入りのEPをよくリリースしていたので、この3曲でリリースでもいいかなと思いながら、できたばかりの「視程0m」をいい曲いい曲!と思いながらきいていたけれどきいていくうちに「え、これ暗すぎるのでは…?」ってなった。暗い。暗すぎる。暗すぎてこの3曲だとバランスが悪い。いっそ「彼方/音楽はもう鳴らない」のシングル形態でリリースしようか。しかし、そうすると「希望のかなた」という名前をつけられないし、「視程0m」の中の”今、あのひとの喜びは?かなしみは?今、あのひとの希望は?絶望は?たったふたりだけの言葉で教えてよ”の一節は、絶対に世に出したい。であれば「視程0m」ありきで考えないとだめだ。わたしが納得いく形で「希望のかなた」としてリリースしたい。じゃあやっぱりもう1曲作ろう。どこかのニュースサイトで、今はストリーミングやサブスクの時代で、イントロはいらない・1分以内にサビが来ないとだめ・すぐスキップされる・というようなニュースを目にして、「よくわからんけどとりあえず2分くらいの曲を作ってみよう」というアプローチで作り始めた。
mol-74の「エイプリル」という曲がすきで、「奇跡のように出会って必然のように別れて映画みたいにはいかない結末に僕は何を想う」というところがすきで、このころも春だから「エイプリル」をよくきいていて、「春の潭」も、わたしたち、結局すれ違っていっちゃうね、という曲。結局すれ違っていっちゃうよね、人生。
「春の潭」の「春」は「エイプリル」に引っ張られて「春」になった。「ふち」という字は最初「淵」だったのだけど、なんかあんまりかっこよくないな〜と思って調べたら「潭」という字があるのを知り採用。
この曲ができて、スルッと4曲良い感じに収まった感があって、これでやっと『希望のかなた』にできたな、と思った。

4. 音楽はもう鳴らない
この曲は「希望のかなた」の中では一番古くて「シニフィエ」と同時期に作っていた曲。そのせいか、なんとなくSFっぽい感じがする。サビのつかみの”遠い星からきこえる声”というところも、たぶん今なら出てこなさそうな言葉のチョイス。ただ、当時、「シニフィエ」がわたしの中ではスタイリッシュでおしゃれな感じに仕上げられたのに対し、「音楽はもう鳴らない」はなんとなくダサい気がして、作れども作れども何かが足りない感じがして、でも何が足りないのかはわからなくて、「少し寝かそう!」と思って沼フォルダ入り。今回、沼フォルダから発掘して、かなり手直しをしたら良い感じになった。
「彼方」が1曲目なら「音楽はもう鳴らない」は締めの曲だな、と思ってこの位置に。聞いてほしいところは、最後の最後の「おんがくは〜も〜お〜鳴らな〜い」のところ。意図せず声が掠れてしまって、録り直そうかな…いやむしろこの掠れ具合がいいかも!と思って掠れテイクを採用。

■アートワークについて
今年の年明けごろから、使い捨てではない、フィルムカメラが人生にインしたので、アートワーク用に何枚か写真を撮った。最初はトレーラーの背景に使った、「空・木・何かの白い塔・木」の写真が最有力候補だったのだが、「この写真は四角に切り抜くと魅力が一気に損なわれる」と思い、トレーラーに使うことに。最終的に、アートワークには、偶然シャッターが切れていてどこで撮ったのかわからない1枚を採用した。偶然シャッターが切れている写真、良い写真か良くない写真の2択だなって思う。

■「希望のかなた」ができて
こうして、最後に作っていた「春の潭」が4月中旬ごろにできて、さあいつリリースするか?と考えていた5月初旬。映画館のポイントが1本無料でみられるだけ溜まっていた。引越しをするからポイントを使い切っていきたいのもあり、「みてしまったら100%やられる」という理由で避けていた「花束みたいな恋をした」をみにいった。結果、映画はめちゃくちゃ良くて、もっと早くみにいけばよかった!と思ったが、公開直後(1月とか2月とか)にみにいっていたら、わたしのEPは「希望のかなた」という名前はやめていただろうな、と思った。映画の中で、麦くんと絹ちゃんが「希望のかなた」をみにいっていたのと、「花束みたいな恋をした」というタイトルからも想像できるけれど、少しずつ近づいて、少しずつ遠ざかっていくふたりの話で、MKRDTSBの「希望のかなた」を聞いてくれたひとが「『花束みたいな恋をした』の引用でこういう風になったんでしょ?」ってなったらちょっと不本意だった。でも、このEPは5月中にはリリースしたくて、もう5月で、この4曲を入れたEPに名前をつけるなら「希望のかなた」しか考えられない、やっと「希望のかなた」にできたから、と思ったので、変更せずそのまま「希望のかなた」でリリースすることにした。
でも、今となっては、「花束みたいな恋をした」からの引用だと思っていただけるようであればそれはそれで光栄なことです。

■終わりに
ここまでお読みいただいてありがとうございます。もしまだ「希望のかなた」をきかれていない状態でこれを読んでいただいて、ご興味を持っていただいた方がいらっしゃいましたら、Apple MusicやiTunes Store、Spotify、ラインミュージック等でおききいただけますのでぜひきいていただけるとうれしいです。MVも作りたいな。がんばろう。よろしくお願いします。

「希望のかなた」のアートワーク。