おしっこの感じがおかしい。①なんだろうこの感じ→尿意。幸いまだ漏らすところまでは行っていない、②おしっこしたいな〜→トイレに行ってもなかなか出ない。仕方ないので噴水や川の想像をして排尿を促す、③終わったかなあ〜→まだ。2,3セット繰り返す。必ず。
最近不安をしずめるくすりが変わったのだけどそのせいなのかな。おくすりフレンズの兄に「コントミンとクエチアピンて飲んだことある?」とラインしてみたけれど、お仕事が忙しいのか半日経った今でも既読がつかない。チーン。でも不安はポヤポヤになっている気がする。音や光に対する過剰な反応も少なくなっている気がする。失ったもののほうがわかりやすくて困る。
お友だちにコメダに付き合ってもらっておしゃべりする。病院をがんばったごほうびとしてちいちゃいシロノワールを頼むけれどひとくちで満足してしまいお友だちにもたべてもらう。甘いのたべたいと思うけどそんなにたべられなくなった。コメダでお友だちの話をきいているあたりからとてつもない眠気に襲われて(前述のクエチアピンをはじめて飲んだ直後)、コメダのあとに無印でおかいものをするけれどレジで気を失いそうになってひやっとする。歩いていても眠気がとれなくて、最寄りからタクシーに乗るか悩むけれどズルズル歩いて帰ってきた。無事に家に帰ってこられてよかった。堤下さんのきもちがわかるかもしれないと思いながら寝た。

母に「レジで気を失いそうになった」という一連のエピソードを話したら「心のくすりってそういう副作用が出ちゃうときもあるって聞くもんねえ」と言われた。やっぱり失ったもののほうがわかりやすくて困る。
アルバムはリリースしないの?今までの曲集めてリリースしたらいいのに、みたいなことを言っていただいて、ベスト盤みたいなことは愛がないからしたくない、そんなことをして許されるのは売れているひとだけだ、サブスクでみんなきくからアルバムを作ってもきいてもらえない、と、哲学があるぶってお返事をしたけれど、くるりがフルアルバムをリリースしつづけてくれているのはわたしの中でかなり希望だと思った。あらゆるエネルギーが回復したら、フルアルバムをリリースするのも夢だな。それに、きいてくれるひとがひとりでもいるなら(お友だちだけど)、作る価値は大いにあるよね。過去にいろんなひとに「お前の曲は友だち以外のしらないひとに届いているのか、きかれているのか」「届いていないなら、きかれていないなら意味がない」みたいなことを何度も言われてきて、それも呪いみたいになっているけれど、まずはお友だちにきいてもらうことがだいじなのでは?と思えた瞬間を忘れないようにしたい。4曲のEPがバランスとりやすくて作りやすくてすきすぎるのだけど
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午前11時。がんばって平気なふりをしていたけれど平気じゃない気がする。ひとりになりたいのにひとりになりたいと言えなくて、玄関を出たところで気を紛らわしていたつもりだった。でもダバダバ涙が出てきた。くるしい。息ができない。ひとりになりたい。鏡で見たじぶんの顔がひどかった。ねむれないのはおかしい。ウトウトしただけでふるえで目が覚めるのはおかしい。たすけてほしい、たすけてほしい、たすけてほしいって言えない、言えない、どうしたらいいのかじぶんでもわからないことを他人に要求できない

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