「ああ、これは書いておこう」「書いておきたいな」と思っていたことがあって、メモのアプリを立ち上げたのに、お酒を少しだけ飲んだら涙が止まらなくなってしまった。わたしはなにを書いておきたかったんだろう。いっこも思い出せない。1ヶ月、1週間、1日、1時間、1分の中でもめまぐるしく乱高下するじぶんの感情に辟易している。持て余している。ひとりでも大丈夫になりたいのに、どんどん遠ざかってゆく。感情や感覚がこの手からポロポロこぼれてゆく。ひとに迷惑をかけてばかりいる。
あれ?こんなかわいいマッチどこで買ったんだっけ?と思ったら、きのうガチャガチャをして引いたマッチの形をした付箋だった。なにも覚えていられないことがこわい。いつか思い出せなくなることもあるのかな。よくものを落とすようになった。このかんじなんだっけ?と思ったら尿意だったりして、くすりを飲んで良くなっているのかわるくなっているのかわからない。得ているものもあるだろうと信じたいけれど、失っているもののほうが数えやすくてかなしい。

電車に乗ると
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夜中、ここまで書いて一旦横になった。きもちわるい夢をみて、1時間後くらいにおっきめのパニックを起こしながら目が覚めて、声を上げて泣いた。うわーんって泣いた。どんどん赤ちゃんみたいになってく。宇多田ヒカルさんのFirst Loveを爆音でききながら、月曜日、資源ごみの日だったので、ブラックフライデーでたまりにたまっていたAmazonのダンボールの山を捨てた。さむい、さむい、これは現実、これは現実、きもちわるいけれどきもちわるくない現実。煙草を吸って、味がする、匂いがする、火の温度を感じる、これは現実、これは現実、と、感触を手繰り寄せるような朝だった。
「書いておこう」と思ったのは指輪とコナンのことだった。わたしは腕時計以外のアクセサリー(腕時計ってアクセサリーじゃないか)の類はつけない人間だったのだが、この夏に兄が入籍をして、秋に兄に会ったときに結婚指輪をつけているきれいな指をみて(兄は指がとてもきれい)「ああ指輪いいなあ!」と思った。でもわたし結婚してないし、と思ったけれど、結婚してなくても指輪はつけられるし、諸説あるものの指ごとに指輪をつける意味が存在していることを浅ググりで知り、指輪をつけるようになった。左手の人差し指は起きている間はずっとつけていて、出かけるときにはプラス左手の親指、ときどき右手の薬指。左手の人差し指の指輪は不安定な心へのお守りみたいなきもちでつけていて、不安になったときに触るのが癖になった。コナンのことというのは、あのホームズの世界に入る映画で、「小さいころから指輪をずっとつけていたらその指だけ細くなる」みたいなセリフがあった気がして、指輪をつけるようになるまでは「そんなことあるの?」と思っていたのだけれど、確かに人差し指にずっと指輪をつけるようになって、手の指ですらむくんだり細くなったりすることが感触としてわかった。
ということを書いておきたかったのを思い出せてよかった。よかった。
電車に乗ると、前は低く見積もって30〜40パーセントくらいの確率でパニックになっていたのが、最近は踏切や駅が近づくだけで100パーパニックになるようになった。出かける30分前にくすりを飲む(だいたい30分で効くから)、改札をくぐる前に一服できる場所があれば一服する、呼吸を整える時間を作る、のみものを飲んで落ち着く(今のところコーヒーがベスト)、動悸がしてきたら胸のあたりをさすって「生きてるね〜」と唱える、と、ちまちました対策をしていたら、なんとか10分15分くらいであれば耐えらえるという気づき。生活していくのってすごい大変。
夜中に作業をしながらきのこ帝国を通してきいていたら、大学4年のときに、軽音サークルできのこ帝国のコピバンをしたことを思い出した。わたしはサークルの中でも孤立しがちなほうで、先輩にかわいがってもらうことでなんとかコピバンを組めていたのだが、4年生になっても同期とはあまり馴染めずにいて、比較的わたしのことを慕ってくれている1つ下の学年の男の子たちときのこ帝国のコピバンをした。退屈しのぎと、夜が明けたらと、海と花束と、あとなにをやったっけ。たのしかったな。すごいたのしかった。このコピバンのおかげで、先輩いなくなっちゃったけど最後の1年たのしく過ごせるかもって思えた。気がする。まおちゃん、かいちゃん、滝沢くん。滝沢くんは夏に1回うちに遊びにきてくれたけれど、まおちゃんとかいちゃんとは疎遠になってしまった。みんな元気だといいな。また会えたらいいな。と思いながら少しだけ泣いたら、佐藤さんが「1DK」をリリースされていて、すごい泣いた。同棲したことないのに架空の恋人との別れを想像してしまって煙草と涙が止まらなくなった。佐藤さん。ずっと憧れのひと。
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