今すぐ迎えにきてくれよ 今すぐ僕に触れてくれよ

2022/12/09

日記

 読まなくていいです。読んでもいいです。でも読まなくていいです。


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きみの写真は素敵だね、でも顔の写りが悪いから手直ししてほしい、このままアップされたらきみの友だちに笑われる、してくれないならアップロードしないでほしいと言われて、すごくかなしかった。わたしがフィルムで写真を撮るのはその瞬間を残すことに重きを置いているからで、後からいじることはしない。それに、わたしの友だちはそんなことで笑ったりしないし、あなたをばかにしたりしない。でもそんなことはそのひとにとっては関係なくて、あくまで「じぶんの中にある理想のじぶん」でいなければいけない、と思われているのだと思った。価値観の違いってこういうことか。

わたしのフィルム写真に対する考えはこうだから、それならわたしはアップロードしない、あなたのきもちを考えずにごめんなさい、不快な思いにさせていたらほんとうにごめんなさいとお返事をした。へたくそでごめんなさい。あなたが思うあなたを撮れなくてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

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これ以外にも、ちょっとだけかなしいこと、ちょっとだけくるしいこと、が、ここ数日で重ねってしまって、ダムが決壊したみたいに泣き続けた。瞼がなくなって、2ミリくらいしか目が開かなくなって、あたまも痛いし、重いし、パニック発作が何度も起きて、死ぬんじゃないか、このまま死ぬんじゃないか、と、早鐘みたいに脈を打ち続ける心臓のあたりをさすって、床にうずくまって泣いていた。泣き続けていた。死にたい死にたい死にたい死にたい、生きていてごめんなさい、生きていてごめんなさい、とノートに書き続けた。

次につらいことが起きたときのために眠剤は飲まないようにしていて、だれにも迷惑をかけずに死ぬ手順をずっと考えていて、でももうしんどすぎて、久々にデエビゴとレンドルミンを飲む。お隣さんがご出社される、玄関のドアが開いて鍵をかけて階段を降りていく音をききながら意識を失うように寝た。4時間後に目が覚めるけれど、眠剤を飲んだ翌日あるあるで、もう体が鉛のように重くて、1時間半か2時間くらい起き上がれなかった。

涙は止まったけれどふるえが止まらなくて、くすりを飲んで、コーヒーを淹れる準備をして、外に煙草を吸いに出る。支えなしでは立ってすらいられなくて、ドアによりかかりながら1本、2本と吸う。家に戻ってきたら右足と左足が絡まって玄関で躓く。転ばなくてよかった。転べばよかった。転んであたまをドカンと打ってそのまま死ねたらよかった。と思いながら、お湯を沸かしてコーヒーを淹れる。1杯だけ飲みながら、展示にまつわる作業を始めるけれど、また涙が止まらなくなって、あたまがなんにも回らなくて、あちこちの会社から入稿や出荷の連絡がきていて、死んでる場合ではないけれどもうどうしても死にたい。死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい。息ができなくなって、また床をのたうちまわる。

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等々力渓谷に行きたい。夏から見逃し続けているこちらあみ子も17日から下高井戸シネマで始まる。みに行きたい。三宅監督のケイコ目を澄ませてもみに行きたい。けれど、駅が近づくだけで、改札への階段を降りるだけで、視界がぐらぐら揺れる。わたしが安心して行けるのは玄関を出た共用部分までで、ゴミを捨てにいくだけでふるえが止まらなくなる。

生きていてごめんなさい、わたしなんかいなくなったほうがいい、だれかの言葉で勝手にどんどん傷ついて、どんどんどんどん傷ついて、やっと忘れられたと思ったらまた思い出して、言われたときよりも傷ついている。心に血管が通っているなら出血多量で死ねたかもしれない。

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死んだら、わたしが関わりたくないと思っているひとや、わたしを無意識に傷つけたひとが、勝手にわたしのことを美化するか、勝手にわたしのことを罵るかすると思うと死ねない。死なずにいるのはそれだけのこと。だれとも何の関係がなければ。

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りゅうちゃんが作っているブレスレットがほしくて連絡をした。「おいでよ」「顔を見れればいいから」とお返事をくれて泣いた。大和田さんの写真を展示で使いたくて連絡をした。「使って大丈夫です」「また飲みましょう」とお返事をくれて泣いた。こうやくんにギターを弾いてほしいとお願いしたことについてどんな感じか連絡をした。「引越ししたばかりで手をつけられてないんだごめんね」とお返事をくれて泣いた。お引越しのお祝いを贈りたいとお返事したら「体重計!」とお返事をくれてまた泣いた。

りゅうちゃんのブレスレットを買って、大和田さんと飲んで、こうやくんに体重計をプレゼントするまでは死なない。死なない。死なない。死なない。と思っても、くるしくて泣いてしまう。なにがくるしいのかわからない。わたしはなにもわからない。

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たすけてほしい。でもどうしたらたすかったことになるのかわからない。たすけてって言えない。だれにも言えない。たすけてって言われることがすごく負担になるのをわたしは知っている。

音がこわいので基本は常にイヤホンをして、そして、家の中でもフードをかぶったり、バラクラバを被ったり、帽子を被ったりするようになった。

わたしってゴミだな。ゴミが一生懸命ゴミを作ってるんだな。わたしなんか。わたしなんか。わたしなんかわたしなんか、地球のために死んだほうがいい。未来の子どもたちのために死んだほうがいい。でもわたし1人死んだところでなんにもならない。生きていても死んでも意味がない。意味がないことがすごくくるしい。意味があってほしい。価値なんてなくていい。評価なんてされなくていい。でも意味があってほしい。わたしに意味があるものが、あなたにとっても意味があってほしい。じぶんか感じるうつくしさを信じていたい。それだけなのに。それだけのことすらいとも簡単に揺らいで、崩れて、ばらばらになる。脳みそはとろとろに溶けて、心はぐちゃぐちゃになった。己へのいらだちで、おうち用のめがねを破壊した。ものに当たるのって、ほんと最低。一度崩れたものは、もう元には戻らない。元の景色はもうみられない。ここには絶望しかない。だれとなにをしゃべっていても、やりとりをしていても、申し訳なくて泣いてしまう。わたしなんかの相手をしないでほしい。わたしは空気が読めない。わたしはあなたの言葉が理解できない。真意が、意図が、わからない。

1日3粒までのくすりを5粒も6粒も飲んだら嘘みたいに泣きやめた。でもくすりが切れた途端、また涙が止まらなくなる。

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わたしの言葉は、だれにも届かない。届かないでいてほしい。そして、ちゃんとひとりで死ぬから、ちゃんとひとりで死ぬから、喜んだり悲しんだりしないでほしい。もうだれの心にも触れられない。触れるのがこわい。近づくのがこわい。遠ざけられるのがこわい。もう生きていける気がしない

街の風景のフィルム写真。電信柱や建物が写っている。